マイノリティ(少数派)は孤独だ。
自分の正直な意見を言おうものなら、周りからほぼ必ず否定される。
肉親にすら自分のことをほとんど理解されない。
生涯にわたってマイノリティは孤独に苛まれる宿命にある。
マイノリティの孤独
多数派の人間はそもそも聞く耳を持っていないことが多い。
こちらがいかに論理的に話そうが、向こうは初めから結論ありきで、こっちが間違っているものと信じて疑わない。
では多数派側の人間に考えの基盤となる合理的な根拠はあるのだろうか?
たいていの場合全くない。
そこにあるのは
「常識だから」
「みんなが言ってるから」
という科学的とは程遠い感情論だけだ。
にも拘わらず、彼らはなぜか自信たっぷりである。
自信満々で僕らを否定する。
彼らと意見を交わしても、ピントがずれた反論しか返ってこない。
そもそも議論が成り立たない状態だ。
結局彼らと話しても無意味だと悟り、次第に僕らは黙るようになる。
すると彼らの声はますます大きくなる。
反論する人間がいなくなることで、自分たちの考えが正しいと確信し、科学的根拠のない自信をどんどん深めていく。
僕らはますます自分の考えを表に出しづらくなり、必然的に孤立していく。
マイノリティは叩かれる
しかし中には繰り返される批判にも動じず、自分の意見を発信し続ける人間もいる。
分かりやすいたとえを挙げるなら
- 堀江貴文
- 三浦瑠璃
- 太田光
といったところが有名どころだ。
多数派の人間はこうしたマイノリティな人間を叩く。
とにかく叩く。
論理的とはほど遠い主張で寄ってたかって罵倒しつづける。
ところが実はそのマイノリティな発信に共感する人間も少数存在する。
そういった少数派の人間は、自分と同じ意見の人間が袋たたきにあっているのを見て、ひそかに傷ついている。
まるで自分を否定されているように感じるからだ。
ネット社会になった今、多数派の本音がオブラートなしで見られるようになった。
少数派に属することが多いボクは、ほぼ毎日のように暴言を浴びている。
正確に言うと直接ボクに浴びせられているわけではないが、同じ意見の人間が叩かれるのは自分が叩かれてるのと心情的にそう変わらない。
顔も知らない多数の人間から延々と罵倒されつづけるのは精神的にかなり辛い。
日本人はいじめが大好き
「みんな違ってみんないい」
「いじめダメぜったい」
こんなフレーズを何度も聞いたことがある。
小学校の道徳で習ったのだろうか?
だが現実世界は真逆だ。
みんなと違う考えを持つ者は、寄ってたかって袋たたきにする。
ネットの炎上なんかはまさに「いじめ」そのもの。
表面ではキレイごとを抜かしながら、実際には多くの人間が嬉々としていじめに参加している。
しかし一方でイジメの話題になると、
「いじめなんて最低だ」
とのたまう。
自分もいじめに参加しているという自覚がないのだろうか?
“日本人はみんな優しい”なんて大嘘もいいところだ。
日本のNo.1ニュースサイト「ヤフーニュース」のコメント欄を見れば一目瞭然。
自分にはとことん甘い一方で他人には驚くほど不寛容。
そしてなによりイジメが大好物。
さんざんイジメはダメだなんだと言っておきながら、同じ口で小室圭さんを集団リンチしてるのは呆れるしかない。
一番に癇に障るのはその鈍感さだよ。
もちろん日本人全員がそうだというワケではないが、こういった人間が多数いるのはもはや疑いようがない。
まあ世界史などを見る限り、日本人に限らずどこの国の人間も大差ないとは思うが。。
少数派が集団で生きてくためには多数派に合わせなければいけない
ネット上の声が多数派だと考えると、リアルでも本音を隠して生活する必要がある。
内心ばかばかしいと思ってるルールに合わせて行動するのは苦痛以外の何物でもない。
とはいえ自分の考えをそのまま表に出せば、争いが生じたり、軽蔑の目で見られることはネットの反応を見ていれば一目瞭然だ。
それらを全て無視して自分を押し通す勇気はボクにはない。
自分が思ったことを普通に言えば叩かれる。
争いを避けるためには、僕らは黙って多数派に合わせるしかない。
常に本音を隠し、周りに気を遣わなければならない。
マイノリティはいつも孤独だ。