子供の頃、ボクは『喋らない人』だった。
ちょっと大人しいとか人見知りなんてレベルではない。
病的なほどに大人しすぎる、まったく何も話さない少年だ。
いったいなぜ少年時代のボクは『喋らない人』だったのか?
『喋らない人』はなぜ何も話さないのか?
自分が『喋らない人』だと自覚したのは幼稚園に入ったころだ。
ボクは幼稚園に行くと、まったく何も喋らない子供だった。
といっても言語能力に問題があったとか発育が遅かったとかではない。
むしろ勉強に関しては小学校から中学までほかの子供よりもよくできていた。
また家では問題なく流暢にしゃべっていたというのも大きな特徴だ。
だが外に出るとそれが一転して、まったく喋れなくなるのである。
ちょっと大人しいどころではない。
よくいる”人見知りする子供”とは次元が違う。
おそらく小中学時代はトータルで5分も話していないのではないか?
おまけにいつも無表情だった。
当時の同級生に
「学年で一番無口なのは誰か?」
と聞けば、満場一致でボクを挙げていただろう。
一体なぜボクはしゃべらなかったのか?
それは自分でもわからなかった。
しゃべらない…というより喋りたいけど喋れないという感覚に近い。
大人になって分かったのだが、これは場面緘黙(かんもく)症という症状と完全に一致する。
- 家などでは話せるにもかかわらず、特定の場所でまったく話せなくなる
- 言語能力や知能に問題があるワケではない
- ただの人見知りとは明らかに違い、周囲から不思議に思われるほど言葉を発しない
数百人に一人しか発症しないレアな症状なのだという。
不安や恐怖を極度に感じやすいことから話せなくなるらしい。
そしてこの症状は中学の終わりまで続くことになる。
大人しすぎる幼稚園時代
幼稚園時代のボクは本当に一言も発しなかった。
なにか話しかけられても反応は”首を振る”だけ。
それどころか人前で笑うこともまったくない。
面白いことがあっても、なぜか笑うのを我慢していた。
周りの子からすれば、そんな大人しすぎる子供と話しても面白いわけがなく、幼稚園時代からボクはずっと一人だった。
本当は周りのみんなと仲良くしたかった。
家で話すように外でも普通に話したかった。
だがなぜか当時の僕にはそれができなかった。
親もボクが幼稚園で一切話さないことを知っていたらしい。
「なんで幼稚園で話さないの!?」
「外でもちゃんと喋りなさい!!」
よく怒られていた記憶がある。
学年が幼稚園の年中から年長に変わるとき、母親とこんな会話をしていたのを覚えている。
「年長さんになったらちゃんと喋るんだよ?」
「うん。年長さんになったらゼッタイ喋るよ!」
本人も喋れない自分が嫌だったし、いつも自分を変えたいと思っていたのだ。
ただやはり年長になっても急に喋れるようにはならなかった。
よっちゃん
だが年長に上がると、なぜだか分からないが同級生の中でひとりだけ話せる子ができた。
別のクラスの”よっちゃん”という男の子だ。
なにがきっかけで別クラスのよっちゃんと仲良くなったのかは謎だが、幼稚園が終わると毎日のようによっちゃんの家へ遊びに行ったのを覚えている。
よっちゃんとも幼稚園の中ではほとんど喋れなかったのだが、よっちゃんの家ではなぜか普通に話していた。
おそらく人生でもっとも遊んだ相手がよっちゃんだろう。
喋らない人の小学生時代
「小学校に入ったらしゃべる」
母親とこんな約束をしていたが、小学校に入ってもボクに全く変化はなかった。
相変わらずまったく喋ることなく、リアクションはすべて首振りだけだった。
ただし周りに変化が起こる。
”一言もしゃべらない人”を周りが放っておかなくなるのだ。
もちろんそれは悪い意味で…
ボクの小学校は2年単位でクラス替えが行われる。
最初の2年間、ボクはあろうことか3人の女子にいじめられた。
我ながら情けない話だ。
イジメの内容はおもに以下のものである。
- 掃除の時間にホウキで殴られる
- 座布団を毎日何度も足でふみつけられる
- 配布されるプリントを自分の分だけ破って渡される
- 「しゃべれよ」「学校来んな」「しね」といった言葉を毎日浴びせられる
学校では何も話すことができなかったため、誰にも相談することができない。
ただただ無抵抗のまま女の子にやられっぱなしだ。
担任もハッキリものを言わない少年が嫌いだったのか、ボクに対してだけ冷たかった印象がある。
当時のボクにとって恐ろしいのは
- 休み時間
- 給食
- 掃除タイム
だった。
授業をやっている時間は先生がいるためあまりイジメられない。
しかし休み時間や掃除の時間になるとイジメ再開だ。
授業が終わりに近づくにつれ、恐怖で動悸が止まらなくなる。
まわりの子は休み時間になると喜んでいたが、ボクは授業が終わるのが怖くてたまらなかった。
親はボクがいじめられていることを知らない。
”女の子にいじめられてる”という自分が情けなくて、とても親に話す気にはなれなかった。
その一方で、親はボクがあいかわらず学校で喋らないことや、友達ができないことを不快に思っていたらしい。
「なんで喋らないの!!」
「よその子はみんなお友達と遊んでるでしょ!?」
そんな感じでよく怒られていたため、家に帰っても心は休まらなった。
小学3年~4年生
小学3年生になった。
やっとボクをいじめてた3人から離れられる。
運よく彼女たちはみんな別のクラスに分けられた。
「今度こそ喋ろう」
学年が変わるたびに思っていたことだが、やはり3年生になっても急に喋れるようにはならない。
ただほんの少しずつだがこの頃から言葉を発するようになっていく。
最初は
「うん」「いや」「しらない」「わかんない」
という4つの言葉を話すようになった。
なんだそりゃ?…という感じだが、当時のボクの中では大きな進歩である。
しかし当然ほかの一般的な子からしたら、出てくる単語のレパートリーが4つしかない人間など喋らないも同然。
案の定ボクはまたイジメられることになる。
3年から4年の間に経験したいじめ内容は以下のものだ。
- 背中を後ろから蹴られる
- 「なんか喋れよ」「気持ち悪いから学校に来るな」「お前みたいな人間を生んだ母ちゃんはかわいそうだな」といった言葉を毎日浴びせられる
- 私物を盗まれたり、ゴミ箱に捨てられる
このときボクをイジメていたのは1、2年時とは違い、男3人だった。
彼らの特徴をそれぞれ一言でまとめると…
- 見た目がひょろ長い以外に何の特徴もない「Mr.平凡」
- 典型的な体育会系で脳みそまで筋肉で出来てそうな「脳筋ぼうや」
- 絵に描いたような優等生の「メガネ」
というタイプの違う3人。
共通していたのは、みんな特に嫌われてるワケでもなく、そこそこ友達もいる”ふつうの子”だったことだろうか。
小学5年~6年生
5年生になっても相変わらず『喋らない人』のままだったが、発することのできる言葉はだいぶ増えていた。
何か質問されれば短い言葉ならとりあえず返せる、といった感じである。
本人も常に変わりたいとは思っていて、少しずつだが話せるようになってきたようだ。
小学校5、6年生では幼稚園時代に毎日遊んだ”よっちゃん”が同じクラスだった。
しかし長い期間話していないせいか、よっちゃんともほぼ話せなくなっており、それを悟ったよっちゃんもボクに話しかけてくることはなかった。
5年生のとき、とても印象に残った出来事がある。
ある日の休み時間、やんちゃな少年がボクを指差して、こんなことを口にした。
「アイツいつも黙ってて気持ち悪いよな」
すると別の少年が笑いながら答える。
「ホントだよな、学校来なければいいのに」
ボクはこの言葉に大きなショックを受けた。
笑いながら答えたのがよっちゃんだったからだ。
悪口を言われることには慣れていたが、まさか幼稚園時代に唯一なかよくしていた彼に言われるとは……
よくよく思い返してみると、心に残る出来事はまだ他にもあった。
恐怖の席替え
ボクの小学校ではだいたい2か月に1回ほど席替えが行われる。
席替えというと喜ぶ子が多かったが、ボクにとって席替えは苦痛なイベントだった。
というのも自分のとなりの席に当たった人が、毎回なんとも言えない微妙な表情をするからだ。
なかには心にとどめておくべき言葉をそのまま外に出してしまう子もいる。
「うわぁ柴崎の隣かよ、ハズレじゃん」
「だれか席変わってくれない?」
さすがにここまで正直に口にする子は少数だったが、おそらく心の中で同じことを思ってる子は少なくなかっただろう。
自分は”ハズレくじ”なんだということを嫌でも痛感させられるこのイベントは、当時のボクにとって非常に苦痛だった。
席替えにはもう一つ嫌なところがあって、席替えをする前に
「席替えしたい人は手を挙げてください」
と先生がアンケートを取ることだ。
だいたい手を上げるのは半数ぐらいなのだが、ボクの隣になった子はほぼ必ず手を挙げていた。
隣になったばかりの時は優しくしてくれていた子も、2か月が経つ頃にはほとんど喋らないボクに嫌悪感を持ってしまうのだ。
中にはあからさまにボクに対して攻撃的になる人間も存在した。
そうした中、とくに印象的だったのが沼田君という男の子である。
沼田君はボクの隣の席になった直後には嫌な顔せず、それどころか2か月後の席替えまで割と頻繁にボクに話しかけてくれていた。
ボクは沼田君にわりと好感を持っていたし、沼田君もとくにボクを嫌がっていないと思っていた。
ところが2か月後の席替え当日である。
「柴崎君は嫌いじゃないけど、隣にはなりたくない」
なぜか突然、彼は周りにそう言った。
(いや、それ今言う必要ある?席替えしたあとで俺がいないときにこっそり言ってくれよ…)
そう思ったが、よっぽどストレスが溜まっていて、どうしても今伝えたかったのかもしれない。
何が何でもボクの隣にはなりたくなかったのだろう。
小学生にとって”喋らない人”のとなりの席になるというのはそれほど嫌なことらしい。
何も話さない人の深層心理
その頃からだろうか?
ボクは人に優しくされるのが怖くなった。
初めは優しくしていても、いつか必ず自分のことを嫌いになり、どこかのタイミングで態度を急変させるのだろう。
どんな優しい人間だろうが、自分と長く一緒にいればそのうち嫌いになるだろう、と。
大人になってからもこの感情はあまり変わらない。
誰かと仲良くなりそうになると、自分から相手と距離を置きたがる傾向がある。
「信用したあとで嫌われるのは傷つくから、こっちから先に離れよう」
という自己防衛から、そういった回避行動をとりたくなるのだと思う。
これはブログを書いている今でも同じだ。
このブログは3年近く続けているが、中にはこんなコメントを送ってくれる人がいる。
「とても共感しました!これからも応援してます^^」
こういった励ましのコメントは正直メチャクチャ嬉しい。
だが同時に
「この人もそのうち離れていくんだろうな」
「複数の記事を見ていくうちに嫌いになるんだろうな」
というのをどこかで確信している。
これまで数十件の応援メッセージをいただいたが、そのうち99%以上はもうこのブログを見ていないだろう。
人間の細胞は一定周期ですべて入れ替わるとよく言われるが、このブログの読者も同じように一定周期ですべて入れ替わっていると思ってる。
『喋れない人』は大人になるとどうなる?
幼少期から悩まされてきた「特定の場所でまったく喋れない」という場面緘黙。
これは中学の終わりまで続いた。
おそらくこれはボクの通っていた中学がほとんど同じ小学校の出身者だったせいもある。
一度『喋らない人』というレッテルを貼られると、周囲もボクには話しかけなくなるし、自分としても急にキャラ変をするのは難しい。
変わりたいと思ってもなかなか変われる機会がなかった。
しかしその後ほとんど知り合いがいない高校へ行き、少しずつ普通に喋れるようになっていく。
高校の途中ぐらいから、ある程度話し相手も増え、
「まったく喋らない人」
から
「どっちかといえば口数の多くない人」
ぐらいに周囲からの印象は変わった。
今では相性のいい人なら数時間話し続けることもあるし、初対面でもそれなりに雑談を続けられる。
ボクの小中学時代を知る人ともし会うことがあれば、きっと驚かれるだろう。
もちろん会いたくないが。
多くの場合、大人になるにつれて場面緘黙は改善していくが、人によっては大人になっても症状が続くケースもあるらしい。
場面緘黙の後遺症?
ただし一番コミュニケーションスキルが発達すると言われる小中時代に誰とも会話してこなかった代償は大きい。
高校に行っても初めのころはかなり喋り方がぎこちなかったし、”どっちかといえば口数の多くない人”になるまでにもかなり苦労した。
いまだって自分から話しかけるのは苦手だし、3人以上との会話になると発言するタイミングがわからない。
また自分を深く知られることや傷つくことを恐れ、
- 飲み会の誘いは100%断る
- 定期的に連絡先をすべて削除する
- 自分からは一切誘わない
- 嫌われてないことを確信しないと話しかけない
- 昔の知り合いがいそうな場所を避ける
など、行動は相変わらず消極的である。
職場でそこそこ仲の良い人ができることもあるが、せいぜい一緒に帰ったり休憩時間に話す程度で、休日に遊ぶような関係にはならない。
喋らない人になる原因は?
『喋らない人』はいったい何が原因で場面緘黙の症状が出てしまったのか?
いくつか説はあるが、「原因は確実にこれだ!」と特定できるようなモノではない。
ただボクのケースで言えば、以下の3つが原因のひとつになっているのではないか?と推測している。
- 父親
- 幼稚園の初めに起こった出来事
- 元々の性質
父親
場面緘黙になる原因として
「幼少期にトラウマとなる出来事があったのではないか?」
という説がある。
これを見て一番に頭に浮かんだのは父親の存在だった。
ボクの父親は昔からキレやすい。
店員や電話をかけてきた相手に怒鳴るシーンを何度も目にしたし、ボク自身もしょっちゅう怒鳴られていた。
そしてキレ方も
- 顔を真っ赤にし、チンピラのような口調で大声をあげて怒鳴る
- 壁や机などを思い切り叩く
- 相手がいなくなった後もしばらく舌打ちを続けたり、物に当たったりする
というなかなかタチの悪いものだ。
小さい頃からとても怖かったのを覚えているし、未だに親父に対してどこか恐怖心のようなものを持っている。
ちなみに小学3年生ぐらいから親父とはほとんど口を利いていない。
幼稚園の初めに起こった出来事
ボクには幼稚園時代の記憶があまりない。
年長時代によっちゃんという子がいて、毎日のように遊んでいたことは覚えているが、具体的にどんな遊びをしていたかなどは全く思い出せない。
しかし幼稚園に入った初日の出来事はなぜだかハッキリ覚えている。
記憶の始まりは幼稚園の先生に向かって、児童たちが楽しそうに駆け寄っていくシーンだ。
みんなが先生のそばでワイワイじゃれている。
ボクも一足遅れて先生に向かって走ろうとした。
だがそのとき、なぜか同級生の3人組がボクの前にだけ立ちはだかった。
「お前は行くな」
そう言われたのをはっきり覚えている。
そのあとボクは彼らから”嫌なことをされた”というのは覚えているのだが、具体的に何をされたのかは思い出せない。
だが彼らの意地の悪そうな顔は今でも鮮明に浮かんでくる。
幼稚園時代の同級生なんてよっちゃん以外で思い出せる奴はほぼいないのだが、彼らのフルネームと顔だけは何故だか今でも記憶から消えることがない。
その日が終わった後もたびたび彼らに嫌なことをされた。
一人は年長になってもクラスが一緒で、そこでも嫌がらせをされたのを覚えている。
そして毎日のように「幼稚園行きたくない!」と言って泣きわめいていた記憶もある。
元々の性質
場面緘黙になる子はもともと恐怖心や不安感が強かったり、物事を考えすぎてしまうケースが多いという。
つまり環境がそれを引き起こしたのではなく、もともと緘黙になりやすい性質を持って生まれてきた可能性もあるらしい。
もしかしたら父親や幼稚園時代のエピソードはまったく関係なく、そもそも生まれた時点で『喋らない人』になる運命だったのかもしれない。
何も喋らない人の人生
というワケで、ボクが『何も喋らない人』だったころの話でした。
「普通の学校生活ってどんな感じなんだろう?」
そんなことを今でもたまに考えます。
…まぁもし仮に緘黙症状のない少年時代を送っていたとしたら、それはそれでまた別の問題や不満を抱えていたんだろうけど。。
さて、『何も喋らない人』だった少年はその後どんな人生を歩んだか?
以下の記事にある程度書いてあるので、気になる方はどうぞ。
