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他のブログにあってこのブログにないもの

にょろえもん ブログとかツイッターとか

世の中には人気ブロガーというものが存在する。

彼らのTwitterやnoteには発信をするたびに数百、数千の”いいね”が集まる。

それどころか「おはよう」と書いただけでも100いいねぐらいもらえる。

一方で僕はどうだ?

丸一日かけて作った5000文字のブログ記事ですら何の反応もない。

5000文字の長文が「おはよう」という何の捻りもない4文字の足元にも及ばないのだ。

まあコメント欄を閉じてるから反応がないのは当然なのだが、これはコメント欄を閉じる前からそうだった。

かつてtwitterをやっていた時も0いいね~1いいねばかりだった。

また、いいねボタンを誰でも押せるnoteでいくら書き込んでもほとんど反応はない。

たまに1いいねがついただけでもメチャクチャ喜ぶような状況だ。

コレが始めたばかりのブロガーならまだいい。

だが3年近くやってこれである。

どんだけ人望ないんだよ…という悲しさがあった。

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少数派意見を書くのは神経が磨り減る

ぼくはこれまで数多くの少数派意見を書いてきてる。

だがこうした少数派意見を書く際は、だいたい多数派の意見を入念に調べてから書くことが多い。

単に自分の意見を主張するだけでは、一方的でツッコミどころの多い、読者をモヤッとさせる文章になりがちだからだ。

多数派のさまざまな意見をできるだけ拾い、一つ一つに対して反論を考える。

その際いちばんリアルな声を多く拾えるのがTwitterなので、普段見ないようにしてるTwitterもその時だけはしっかり見て、ありとあらゆる意見を拾ってみる。

しかしこの作業が精神的にキツイ

ほとんどが筋の通らない感情論や攻撃的なコメントばかりなので、見ているとドンドン気分が悪くなってくる。

そしてそれらのコメントに対する反論を含んだ文章を書き終えるころには、すっかり精神が荒んでしまっている。

仮に僕が人気インフルエンサーなら、完成した文章に対して多くの賛同があり、自己肯定感や書きがいが生まれるかもしれない。

だがボクには賛同の声というものがほぼ皆無である。

多数派の意見を散々目に入れてやっと記事を完成させても、結局少数派の意見はボクが一人で言ってるだけだ。

ボクの意見に賛同してる人が存在するのかどうかも分からない。

壁に向かって一生懸命話してるようなもんである。

その一方で記事を書くときに見た多数派の攻撃的コメントはたっぷり頭に残ってる。

ネガティブな僕は

  • 「何馬鹿なこと書いてんだコイツ」と思われてるんじゃないか?
  • この文章を書いたことで読者が離れていくんじゃないか?
  • 誰も自分の意見に賛同する人間などいないんじゃないか?

・・・といった悲観的な想像ばかりしてしまう。

ネットを見ていると、ほとんどの話題で毎回見事にボクと反対の意見が主流になっているため、

「お前は間違っている」

と世界中の人間から言われている気分になる。

そんなことがあったのと、固定読者がなかなか増えないことや、もともと情緒不安定で気分の浮き沈みが激しいことも重なり、僕は次第にこのブログを書く気力がなくなってしまった。

だが気が変わった

そんなこんなで自暴自棄になり、閲覧者がほとんどいなかったnoteは全削除し、ブログも更新を休止することにした。

前回の休止宣言時は1か月近く休んだが、今回も1か月ぐらい、あるいはいっそのこと永遠に休止しようかとも思った。

だが1週間ぐらいで気が変わり、また今日からぼちぼちブログを書いていく。

なぜ気が変わったのか?

自分を一番励ましてくれた人間

誰かに「お前は間違っていない」と励まして欲しい。

しかし励ましてくれる人間がボクには存在しない。

そこで僕は自分が過去に書いた記事に励ましてもらうことにした。

さすがかつての自分が書いた文章だけあって、自分にとってこの上なく都合のいい言葉がこれでもかと並べてある。

3年近くブログをやってきて、自分を励ます存在が過去の自分しかいないというのも相当むなしい気がするが、割とけっこう励まし効果はあった。

そういえばミュージシャンがたびたび書く「応援歌」も、インタビューなどを見てみると、実は自分自身を励ますために書いているのだという。

以前僕が「ブロガーはアーティストだ」という年4回しか読まれなかった駄記事でも書いたように、やっぱりアーティストとブロガーは似ているところが多いんだろう。

そのほかの励み

自分以外に励ましてくれる存在が実は他にもいた。

ブログ村の応援ボタンを押してくれる人の存在である。

ブログ村の応援ボタンというのはページの下のほうにあるこのボタン↓

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あまりの反応の少なさからTwitterを削除し、批判にびびってブログのコメント欄を閉鎖したボクにとって、この応援ボタンは数少ない「目に見える読者からの反応」である。

ボタンを押すとランキングサイトに飛ぶので、押す側にとっては面倒でほぼメリットのない作業だと思うのだが、世の中にはこれを押してくれるメチャクチャ優しい人が存在する。

押してくれるのは、ほんの数人、下手したら1日1人ぐらいだが、

「ああ、まだ見てくれる人がいるんだな」

「賛同してくれてる人もいるのかな?」

という励みになっている。

以前1か月ほど落ち込んでいてブログを休止していた時も、毎日1人か2人ほど応援ボタンを押してくれる人がいた。

誰が押してくれてるのかは分からないが、たぶんだいたい同じ方が押してくれてんのかな?と思ってる。

ぶっちゃけメチャクチャ嬉しいし、元気づけられてる。

昨日なんかはなぜか突然10回ほど応援ボタンが押されており、こうしてまたブログを書く後押しとなった。

(1日に1人1回しか押せないシステムだから、10人ぐらい押してくれた人が存在するっぽい)

また過去にもらった励ましや感謝、共感のコメントもいまだに記事を書くモチベーションのひとつとなっている。

嬉しいと同時に申し訳ない

「○○の記事を見て、共感しました!」

こういったコメントはものすごい嬉しい。

書いてよかったという気持ちにさせてくれるし、お世辞でも何でもなく本当に励まされる。

ただ嬉しいと同時に申し訳なくなる。

万人には受け入れられないような記事ばかり書いてきたからだ。

「この人も他の記事を見ていくうちに離れていくんだろうな」

「自分という人間を知れば知るほど引いていくんだろうな」

せっかく褒めていただいたのに、最終的にはその人をガッカリさせてしまうワケだから、なんだか申し訳ない気分になる。

やめられない

しかし僕は読者が離れていきそうな記事を書くことを辞めるつもりは一切ない。

『ボクがドン引きされるような発言ばかりする理由』でも書いたように言いづらいことほど書く価値はあると思ってる。

たとえばブログ初期に書いた偏食の記事。(今見ると文章がめっちゃ下手で恥ずかしい…)

一般的に偏食と言えば悪、甘えという風潮があり、これ書いたら引かれるんだろうな、というのがあって投稿するのはかなりためらった。

でも僕には自分なりの考えがあり、「仮に100人中99人が間違ってると言おうがこれは絶対間違ってない」という自信があったから思い切って書いてみた。

そして投稿してみると意外に評判が良くて、似たような経験をしてた人たちから賛同の声をいただけた。

他の例で言えばコロナ関連の記事。

去年の3月、4月当時は世の中の9割が自粛ムード。

ちょっとツーリングの写真を載せただけでも不謹慎だと叩かれる時代だった。

その中で過度な自粛ムードに対して疑問を投げかけるような記事をいくつか書いた。

物事には必ずメリットデメリット両面あるから、メリットの裏にあるデメリットと天秤にかけてバランスを取らないと危険だ、みたいな趣旨のことを書いた気がする。

同じように過度な自粛に疑問を投げかけた人間が袋たたきにあってるのを見ていたので、これを発信するのは怖かった。

しかし多数派の意見より自分の考えが結果的に正しかった経験は小さい頃から数えきれないほど遭遇している。

この時も自分のロジックには何の矛盾も見当たらなかったので、自分を信じて投稿してみた。

その中でも『ツーリングを自粛する必要があるのか?』という記事は同じことを考えてる人も一定数いたようで、そこそこの賛同を得られた。

このように僕は世間で叩かれてる人間や、世の中の少数派意見を数多く擁護している。

何かを擁護するというのは裏を返せば批判してる人間を批判するということになるので、書けば書くほど誰かを批判することになる。

だからある記事で同じ意見を持った人も、別の記事では自分の考えが批判されてしまうことがよくある。

よっぽど価値観の合う奇特な人間以外はそのうち離れていくことになるだろう。

あるいは「こんなこと言うヤツ嫌いだわ!」ではなく「これは賛同できるけどコレは賛同できないな」というように是々非々で見る人は、一定の距離を保ちつつ見てくれるかもしれない。

寂しくなるとき

いろんな考えを批判している以上、読者が離れていくのは当然なのだが、ときどき寂しくなる時がある。

たとえば僕には個人的にとても好きなブログがある。

僕とほぼ同じような時期から書き始めている某ニート女性のブログだ。

内容はこのブログ同様、なんでもありの雑記ブログといった感じで、ジャンルにとらわれずかなり個性的で面白い文章を書いている。

(今存在するブログの中で個人的に一番面白いブログだと思っているが、ボクのような変人から紹介されても迷惑になりそうだからブログ名は伏せる。)

ただボクのブログと大きな違いがあって、彼女のブログでは他人を一切批判することがない

そのせいか彼女のTwitterやnoteは和気あいあいとしており、どんな記事やツイートにもたくさんの「いいね」が集まっている。

アクセス数は僕のブログと大差ないハズなのに…

一方僕はどうだろう。

以前やってたtwitterでは0いいねが平常運転。

noteも反応が少なすぎて自暴自棄になり、終いにはどちらも削除する始末。

単純に彼女のほうがブログの質で上回ってるというのもあるだろうが、やはり多方向に批判をかましてきたツケが回ってきたのが大きいだろう。

それ以外のブログと比較しても、やはりボクのブログの固定読者比率は圧倒的に少ない。

そんな歴然とした人望の差を見ると

「俺は結局ネットの中でも孤独なんだな…」

「3年近くブログをやっても人を惹きつけられない人間なんだな…」

と、悲しい気持ちになる。

まあ自業自得以外の何物でもないのだが。。

おわりに

ただ不思議なことにこうして自分の感情を書き綴っていくと、気持ちがどんどん軽くなっていく。

ネタもそこそこ溜まってるんでまたボチボチ書いていこうかと思う。