最近「弱者」の声がでかい

弱者の声がデカいこれっておかしくない?

最近やたら『弱者』の声が大きい。

以前まで彼らは弱者であることに引け目を感じ、ひっそりと謙虚に生活していた。

だがいつの間にか弱者であることを正当化し、自分たちの権利を大声で主張するようになった。

権利を主張するだけならさほど問題ないのだが、ここ最近は強者や恵まれた者を『悪』とする風潮すらある。

そしてそれは理不尽としか思えない『強者』への攻撃へと変わっていく。

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攻撃性を持った弱者

「強者は恵まれているんだから弱者をもっといたわれ」

「金持ちは恵まれてるんだから税金をもっと払え」

「芸能人はチヤホヤされてるんだから批判(という名の誹謗中傷)も受け入れろ」

『平等』を大義名分とした彼らの物言いは『強者』からすればただの理不尽でしかない

自分たちへの思いやりは大声で主張する一方で、強者への思いやりは1mmたりとも持ち合わせていないのが最近の弱者の特徴だ。

たしかに恵まれてない者が恵まれている者に嫉妬する気持ちは分かる。

人生が生まれつき不平等であるのは疑う余地もない。

ただ嫉妬を嫉妬と自覚せず、強者への理不尽な憎悪を正当化し、それを何の恥じらいもなく公共の場で堂々と発信してしまうのはいかがなものか。

ボクは強者への嫉妬の先にあるのが、ヤフコメ民に代表される誹謗中傷を生きがいとした人間であり、さらにその延長線上に『無差別通り魔事件』を起こすような人間がいると思っている。

たとえば無差別通り魔を引き起こした犯人は大抵こんな発言をしている。

「幸せそうな人間が気に入らなかった」

「特定の誰かを狙ったわけではなく誰でもよかった」

「人生が上手くいかずムシャクシャしていた」

結局、彼らの根底にあるのは

  • 自分より幸せそうな人間に対する嫉妬
  • 自分の人生が上手くいかない事への八つ当たり
  • 自分が周りより不幸でかわいそうな人間だという思い込み

この3つである。

そしてこれらの特徴は、芸能人に対し恨み妬みを発信しているネット民にそっくりなのだ。

無差別通り魔とネット民の共通点

もちろん実際に事件を引き起こすのとネットで成功者に八つ当たりしてるだけの人間には大きな壁がある。

だが自分の失敗をすべて環境のせいにし、成功者を逆恨みした挙句、せっせと誹謗中傷をやってのける精神構造の本質は、無差別通り魔がもつ極めて他責的で身勝手な精神性とそう変わらない。

何かきっかけさえあればこうした醜いネット民も無差別通り魔の犯人になり得ると個人的には思っている。

いや実際に誹謗中傷によって心に大きな傷を負っている有名人も数多くいることを考えると、ある意味彼らも無差別通り魔といっていいだろう。

彼らはほんの軽い気持ちでコメントをしているつもりだろうが、それを実際に向けられる人間がどれだけ悲しい思いをするか全くわかっていない。

「自分たちは弱者だ!もっと弱者の気持ちや立場を思いやれ!」と主張する癖に、誹謗中傷される側の気持ちなどこれっぽっちも想像しようとしない。

その身勝手な思考回路と想像力のなさは心底軽蔑している。

恥じらいを捨てた弱者

最近は恥を恥だと思わない人間が増えた。

それどころか自分の責任を他者のせいにする傾向まである。

例をひとつ挙げると、ニュースサイトにちょっと文章量の多い記事が掲載されたとする。

するとそのコメント欄には

  • 文章が長すぎる
  • もっと簡潔にまとめろ
  • 読む気がしない
  • 文章が分かりづらい

などと言ったコメントで埋め尽くされる現象が頻繁に起こる。

ところが実際の記事はというと

  • 2、3分もあれば読める長さ
  • 簡潔にまとめられた内容
  • 日本語が理解できれば簡単に読める文体

で構成されている。

要するに自分の文章を読む能力が不足していることを棚に上げて、文章が読めないのを書き手のせいにしているのだ。

それを恥ずかしがることもなく堂々と主張してるんだから呆れることこの上ない。

ほかにも最近は機械の前で

「分からん!!」

と怒り出す年寄りがよくいるという。

だがこうした機械はたいてい簡単な日本語でわかりやすく説明されている。

それにもかかわらず分からないというのは、本来なら威張って主張するようなことではないだろう。

年齢関係なく”恥じらい”というモノは持っておきたいものだ。

どうせ人間

最近はこの世のあらゆる事象を「どうせ」という副詞をつけて片づける『どうせ人間』が多くなった。

「どうせ努力したって無駄だよ」

「どうせあいつらは恵まれただけだろ」

「どうせ裕福な家庭で育ったんだろ」

人生において環境や才能がある程度のウェイトを占めるのは確かだ。

だが一見幸せに見える人間の中にも

  • 必死で泥臭い努力をしてやっと今の地位を得た人
  • 辛い過去を乗り越えてきた人
  • 苦しみを表に出さないようにしている人

というのは存在する。

それこそ人の苦しみなんか千差万別で

  • 貧困に苦しんだ人
  • イジメに苦しんだ人
  • 家族に苦しんだ人
  • 友人ができなくて苦しんだ人
  • マイナーな病気に苦しんだ人
  • 見た目で苦しんだ人

など様々なタイプの苦痛がある。

ある面では恵まれてるように見えても、別のある面では不幸だったりする。

大抵の苦しみは実際に味わった者以外には理解しづらいし、進んで理解しようとも思われない。

もちろんどれが一番辛いかなんて比較もできない。

自分にまつわる不幸を大っぴらに公表してる人もそこまでいないだろう。

高校生時代、一見優等生のお坊ちゃんに見えた人間が、話してみると実は複雑な家庭で苦労してるというケースもあった。

何の悩みもなさそうな人気者が実は小中学校時代、友達が一人もできず酷いイジメにあっていたというケースもあった。

もちろん能天気にほとんど苦労せず幸せになった人間も中にはいるだろう。

そういった人間の薄っぺらい上から目線の説教は確かにウザい。

だがそうでない人間も全て一緒くたにして「どうせ…」の一言で片づけるのもどうかと思っている。

そしてその「どうせ…」をこじらせた先にあるのが、強者への理不尽な憎悪なのではないだろうか。

炎上の8割以上は燃やす側に問題がある

最近は『炎上』に対して芸能人も企業も過剰に反応する。

本来炎上した側に何の非もないような場面でも、

「誤解を招く表現をして申し訳ございませんでした」

なんて謝罪をしたりする事例が後を絶たない。

だが炎上なんて大半は以下の3つによって引き起こされてる。

  • 理解力不足
  • 他人への寛容さの欠如
  • 嫉妬

芸人がラジオで言った冗談にまでクレームを入れてくるんだから、くそ真面目で妙な正義感もった人間というのはつくづく害悪でしかない。

ちょっと何かあればすぐに差別だなんだと喚き散らし、底の浅い正義を振りかざす。

こういったつまらないクレームを入れる連中のおかげでTVはどんどんつまらなくなっていく。

企業や芸能人側もこんな頭のおかしなクレーマーは放っておけばいいのに…

コンビニで面倒な「ポイントカードの確認」も、ポイントカードを出し忘れた客の中に、あとから文句を言ってくるクレーマーが多いから毎回確認しているらしい。

それ以外にも一部のクレーマーのために、大多数のそうでない客に対して面倒な思いをさせるケースはよくある。

なぜ大勢の一般客よりも一部の声のデカいクレーマーに優しくするんだろうか。

汚い手で勝利を得ようとする弱者

こうした成功者を異常なほどに憎む弱者の根底には

  • 自分もチヤホヤされたい
  • 楽して金持ちになりたい
  • 多くの人に認められたい

という願望が存在する。

本人は否定するかもしれないが、そうでなければそこまで成功者に憎悪を向ける理由がない。

そして彼らは「他人より優位でありたい」という願望を捨てきれない。

だが才能があるワケでもなければ努力もしたくない。

そこで彼らがやるのが足を引っ張ることだ。

自分の到底手の届かない美人に

「でも性格が悪いんだよ」

という何の根拠のないデマを吹聴し、相対的に自分の価値を上げようとするのが彼らの卑劣なやり口である。

ほかにも

「意識高い系」

「がり勉」

などの言葉も、相手を揶揄することで自分の価値を相対的に上げようという魂胆が透けて見えるケースが多々ある。

凶暴化する弱者

弱者と言ってもいろんな定義の仕方があるが、この段落では政治家など権力を持つ者を『強者』、一般市民を『弱者』と定義する。

最近の風潮では

  • 強者=政治家 → 汚い、独善的、悪
  • 弱者=市民 → 純心、守られるべき、善良

といったイメージが植え付けられている。

だがこの”善良な市民”こそが実は最も恐ろしい

たとえば歴史上のたいていの残酷な出来事は、まさにこの”善良な市民”の協力によって繰り広げられている。

  • 中世に行われた魔女狩り
  • ヒトラ一による迫害
  • 多数の死者を出した戦争

そして自らが協力したにもかかわらず、戦争が終わればその責任は他人のせいにする。

「軍部が悪い」「東条が悪い」「マスメディアが悪い」

戦争反対を訴えた人間を非国民扱いして排斥したのは誰?

「お国のため」という馬鹿げた綺麗ごとに疑問を持たず、同調圧力による監視社会を作ったのは誰?

メディアに扇動され熱狂し、開戦の後押しをしたのは誰?

他ならない”善良な市民”たちである。

有名人が誹謗中傷で亡くなったり精神的病に侵されたりしたことが公表されると、それまで好き勝手言い放題だったコメント欄が途端に

「誹謗中傷は最低だ」

「なんでそんなことができるんだ」

という善人で溢れかえる現代のネット世界にそっくりだ。

彼らは自分の過去の言動を忘れてしまうのである。

加害者の一人でありながら自分は無関係で善良な第三者だと思い込んでいるのだ。

このように自分の責任を棚に上げる一方で、政府などの強者に対し「責任を取れ!」と憤慨できる図太さにはもはや感心する。

数年に渡ってかわいそうなほど叩かれ続けてるあのお二人も、叩いてる側はなんだかんだ尤もらしい理由をつけてるが、根底にあるのはほとんどが嫉妬だろう。

叩く側は世論という”正義”を盾に、根拠のないデマから行き過ぎた人格否定までとにかく好き勝手言いたい放題である。

過去の凄惨な出来事の多くは正義の名のもとに暴徒化した市民たちによって執行されたという歴史から何か学んだりしないのだろうか?

そんな連中が別の場面では「他人への思いやりを持て」と言ったり「イジメなんて最低だ」なんて抜かしてるんだから呆れてしまう。

彼らには自己批判的な観点が驚くほど欠如しているようだ。

卑怯な弱者

弱者たちは普段好き勝手言っておきながら、いざ自分が批判の的となると

「弱い者いじめだ」

というように『弱者』であることを武器として利用する。

これを言われてしまうと強者は何も言い返すことができない。

強者は何も言えないが弱者は好き勝手言える、という完全にアンフェアな状況が発生する。

つまり現代は強者よりもむしろ弱者のほうが強い立場になっているのだ。

たとえば最近ネットで頻繁に見かける『不幸自慢大会』でも似たようなことが起こっている。

彼らはいかに自分が不幸であるかを皆こぞって書き込む。

それは別に問題ないのだが、その後にたいてい恵まれた者に対する皮肉がセットでついてくる。

まるで恵まれていることが悪いことであるかのように強者(のように見える人たち)を攻め立てるのだ。

「強者は弱者の気持ちを分かろうとしない!」

と声高に叫ぶ一方で、強者が持つ苦しみは1mmたりとも想像しない。

そして強者がまるで何の苦労もせず能天気に生きてきたかのように決めつける。

確かにあらゆる苦しみは体験した者以外には理解されづらく、そして誰からも苦しみを理解されない人生というのは辛い。

誰かに共感してもらいたいという気持ちもわかる。

だがそれを他者への憎悪に転換してしまうと、そのうち平気で誹謗中傷を行う醜いネット民へ、果ては無差別通り魔を起こす身勝手極まりない人間へと変貌してしまう。

2種類の強者と弱者

強者と弱者にはそれぞれ2種類の人間が存在する。

  1. 余裕が傲慢へとつながる強者
  2. 余裕が優しさへとつながる強者
  3. 不幸を他人のせいにし、強者を恨み続ける弱者
  4. 不幸を経験値とし、他人を思いやれる弱者

そして結局のところ、1と3、2と4はたまたま環境が違うだけで、本質的には同じ人種だと思っている。

3の弱者が権力を持てば1になるし、1の強者から権力を取れば3になる。

4の弱者が権力を持てば2になるし、2の強者から権力を取れば4になる。

「先輩から厳しいシゴキにあって辛かったから後輩にも同じことを経験させよう」

と考えるのが3の弱者。

「先輩から厳しいシゴキにあって辛かったから後輩には優しくしてあげよう」

と考えるのが4の弱者。

ボクがこのブログでたびたび批判してる弱者は3であり、彼らは弱者の皮を被った自己中である。

そしてボクが好きなのは2と4であるのだが、ネットを見てると1や3ばかりで嫌になる。

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