努力できる才能がある人とない人の4つの特徴

にょろえもんとのび太その他いろいろ

「成功できないのは努力が足りないからだ」

「今の地位があるのは努力して生きてきたからだ」

成功者がよく発するセリフである。

これは正しい面もあるが、100%正しいかと言うとそうでもないと思っている。

というのもそもそも”努力”ができるかできないかというのも、ある程度才能が関わっているからだ。

ではいったい努力できる才能とは何なのだろうか?

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努力できる才能を持つ人の4つの特徴

ボクが思う「努力できる才能」を持ってる人と持っていない人の違いは以下の4つだ。

好きか嫌いか

まず努力の対象を「好きか嫌いか」というのは非常に大きい。

というのも、一流で成功している人間はそれを好きでやっているという人間が多いからだ。

たとえば日本の大学の最高峰と言われる東大に行った者たちの中には、そもそも勉強が好きだという人間がかなりの割合で存在する。

例をあげると起業家として成功しているホリエモン。

彼も東大に行っているが、受験時代は1日14時間勉強していたという。

そしてそのことについて

「勉強自体が楽しかったから、それほど苦痛ではなかった」

というようなことを述べていた。

楽しいと思いながらやるのと、苦痛に思いながらやるのでは、努力の難易度が全く違うのは想像に難くない。

「好き」「楽しい」という気持ちは努力をする上で最も重要な要素と言えるだろう。

上達するセンスがあるかどうか

並んで重要なのが「センスがあるかどうか」だ。

ここでは具体例としてボクの体験談をあげてみよう。

ボクの人生ではセンスが全くないものとセンスがあるものが存在する。

前者の例をひとつ挙げるとすればボクシングはそれにあたるだろう。

当時プロとして食べていくことを夢見ていたものの、結局プロテストを受けられるレベルになるまで4年近くかかった。

ボクシングというのはほかのスポーツと違い、始めてから半年ほどでプロテストを受けられる。

4年というのは周りと比較してもかなり遅い数字だった。

絶望的な運動神経のなさも原因のひとつではあるが、それよりも問題なのはよくサボっていたことだ。

どうしてもやる気が起こらず、ボクシングジムに行くのを頻繁にサボっていた。

なぜやる気が起こらなかったかというと、自分にセンスがなく、あとから始めた人間にドンドン抜かれていくから。

そしてそんな状況じゃボクシングを好きな気持ちもどんどん薄れていき、努力をするモチベーションも長続きしなかった。

一方で割とセンスがあったものは囲碁というゲームである。

ちょうど『ヒカルの碁』がアニメで放送されていた中学のときから独学で始めたのだが、始めてわずか半年で三段まで獲得できた。

何年やっても初段までいかないという人も大勢いる中で、これはかなり早い成長ペースといえるだろう。

囲碁に関してはどんどん周りの人間を追い抜いていくのが楽しかったから、”努力”という感覚はなく、毎日のように碁の勉強をしていられた。

このようにセンスがあるかどうかは楽しいかどうかにつながり、先ほど言った「好きか嫌いか」にもつながってくる。

1回の練習で10ずつ成長していく人間と、1回の練習で1ずつしか成長しない人間ではどうしてもモチベーションに差が生まれてくるのは仕方ないことだ。

環境が優れているかどうか

環境が優れているかどうかというのもある程度影響してくる。

たとえば「将来医者になりたい」という夢を持っていたとする。

しかし医者になるには勉強ができるだけではなく、大量の学費も必要になり、ある程度の経済的余裕がないとなかなか本人の努力だけでなるのは難しいだろう。

またDVなどが日常で行われているような環境や、極度の貧困に悩まされる家庭では、ただふつうの大学に通うということすら非常にハードルが高い。

あるいは金銭的には余裕があっても、イジメなど精神的苦痛を受け続ける環境で育つと、本来やりたいことや学業などに集中できない可能性は出てくる。

また親の学歴と子供の学歴にはある程度の相関関係があるというデータもあり、身の回りにいる人間の価値観や教育方法によっても差が生まれやすいと言えるだろう。

自分を律する力があるかどうか

自分を律する力があるかどうか。

たとえ嫌いであろうがセンスが無かろうが、とにかく自分を厳しく律し、努力だけである程度の成績を残す人間もなかには存在する。

この『自分を厳しく律する能力』というのもおそらく生まれつきある程度の差はあるだろう。

ただこれに関してはある程度後天的に改善するテクニックもいくつか出てきている。

精神力でとにかく我慢忍耐を続けるのではなく、『やる気の出るテクニック』『続けるテクニック』などを上手く利用して、目標達成しようというものだ。

もちろんこれらを利用しても上手くいく人といかない人がいるが、いろいろ試行錯誤してみる価値はある。

環境や才能がなくてもどうにかなる問題も多い

ここまで『努力できる才能』について話してきた。

まとめると

努力できる才能を持っている人は…
  • 努力をする対象が好きである
  • 上達のセンスがある
  • 生まれつきの環境に恵まれている
  • 自分を律する力がある

というように、生まれつきの環境や能力差はその人が努力できるか否か、果ては成功できるかどうかにまで大きく影響するだろう。

とはいえ、個人的には環境や才能がなくてもどうにかなる問題も多いのではないかと思っている。

もちろん大谷翔平のような超1流になりたい…というなら、努力だけでなく環境や才能も必須になる。

だが2流、3流、4流…と目標を下げるなら、”才能のない人が可能なレベルの努力”でもたどりつけるケースは多いのではないだろうか?

仮に今10流ぐらいのド底辺生活をしているとする。

”1流の人間がやっている努力”とまでは行かなくとも、”才能がない人なりの努力”で4流、5流程度の暮らしなら十分になれる可能性があると思っている。

運動神経のかけらもないボクが途切れ途切れの努力でもプロテスト受験レベルまでは上達できたのと同じように。

もちろんある程度の才能や運が味方すればそれより上も夢じゃないだろう。

また、たとえ努力が苦手であったとしても、それを科学的アプローチによってどうにかする様々な手法が現在では確立されているため、それらを駆使すれば多少なりとも努力のハードルは下がるはずだ。

twitterやらヤフコメやらで芸能人に対して連日のように僻み妬みのコメントを書き込んでる連中を見ると、

「その時間を勉強するなり副業するなりすれば少なくとも今よりは幸せになれるだろうに…」

と思ってしまう。

あるいは四六時中スマホゲームやyoutubeをやっているような人間が、

「あいつらは環境が恵まれてるから成功しただけだよ」

と他人の成功も自分の失敗もすべて環境のせいにしていたら、それは違うと思うわけだ。

親ガチャ

最近は生まれた環境によって人生の大半が決まるという意味を表す『親ガチャ』という言葉が流行っている。

だが過去の身分制度があった時代や、世界の貧しい国々で生まれた人に比べると、環境要素の割合はだいぶ低くなり、後天的にどうにかできる要素も多いんじゃないかと思う。

また現代では様々な手段の稼ぎ方があり、一昔前なら社会不適合者と呼ばれていたような人間がyoutubeやココナラ、クラウドソーシングといった世界で活躍したりしている。

学歴がなかろうが人間関係が苦手だろうが職歴が無かろうが、それでも活躍できる場所が増えたわけだ。

何が言いたいかというと

努力だけで100%成功できるというのは間違いだが、環境だけで100%決まるというのも間違い

だと思っている。

たしかに恵まれた環境や運によって得た地位をすべて自分の力と勘違いし、うまくいっていない人間を

「努力が足りないからだ」

と決めつけて、上から目線で説教する人間は大嫌いだ。

精神的な病で努力ができない場合もあるし、いくら努力してもほとんど上達しないケースというのは残念ながら存在する。

だが一方ですべての成功者を一緒くたにして

「環境に恵まれただけだろ」

と彼らの努力や苦労をまったく受け入れようとせず、自分に起こる不幸のすべてを環境のせいにし、ひたすら成功者を妬みつづけてるような人間も好きではない。

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