ネット民のコメントは気持ち悪い。
昔からずっと感じていたことだが、スマホの普及以降さらに拍車がかかっているように感じる。
この記事で言うネット民とは、Twitterやヤフコメを代表とする匿名書き込みサイトに積極的にコメントする人たちのことを指す。
具体的にネット民のコメントで気持ち悪いところを挙げると以下のようになる。
- やたら攻撃的で口が悪い
- 驚くほど読解力が低い
- 0か100かでしか物事を見れない
- 視野が狭い
- 怒りの沸点が低すぎる
- 自己矛盾が多い
- 底の浅い正義感を持ってる
- 都合のいい時だけ弱者ヅラする
- 極めてメディアに流されやすい
- これらの自覚がない
以上がネット民を気持ち悪いと感じるおもな理由である。
とりわけ鼻につくのが[10]の“自覚がない”というところだ。
それぞれの詳細は
などに書いたので今回は割愛しよう。
もちろんすべてのネット民を気持ち悪いと言ってるわけではない。
あくまでネット民には気持ち悪いやつが比較的多いと言ってるだけだ。
(本来ならわざわざ言うまでもない話だが、わざわざ言わないと行間を読めないネット民が多いので一応言ってる)
今回の記事では
なぜネットは気持ち悪いコメントであふれているのか?
という話をしていこうと思う。
ネットのコメントが気持ち悪いものばかりになる9つの理由
ネットのコメントが気持ち悪いものばかりになる理由は以下の9つだと思っている。
- 賢い人ほどコメント率が下がる
- エコーチェンバー
- 沈黙の螺旋
- 思考力を持つ人間ほど離れていく
- 群集心理
- “いいね”という麻薬
- 確証バイアス
- 帰属意識が狂気を生み出す
- ネットはルサンチマンを抱える者にとって居心地がいい
賢い人ほどコメント率が下がる
あくまで割合の話だが、一般的に聡明でない人ほどニュースサイトのコメント欄やTwitterなどで自己主張したがる傾向がある。
一方で聡明な人ほどその逆であることが多い。
なぜならそのような場所で自己主張したところで何のメリットもなく、不毛な行為であることは明白だからだ。
(メリットがあるのは発言することで宣伝効果があるインフルエンサーやネットビジネスマンぐらいだろう)
つまり聡明でない人ばかりがネットで自己主張した結果、ネット上が気持ち悪いコメントであふれかえっているのである。
これと似たような現象は現実世界でも起こっている。
たとえば小・中学時代の教室内を思い出してみてほしい。
知性を微塵も感じさせない不良生徒ほど、いつもクラス中に響くような大声で自己主張していたのではないだろうか?
逆に大声で騒いでいる賢い生徒というのを僕は見たことがない。
エコーチェンバー
ネット民が気持ち悪い理由としてエコーチェンバーも大いに関係していると思われる。
エコーチェンバーとは、SNSにおいて自分と似たような価値観の人間をフォローすることで、自分と同じ意見ばかりが目に入るようになり、その結果偏った考えを常識であると勘違いしてしまう現象だ。
Twitterではこれがいたるところで発生しており、自覚のないカルト集団が無数に存在している。
あるいはヤフコメを見ても分かりやすい。
彼らは低レベルのコメントばかり目にすることで、あの低次元空間でしか通用しない偏った考えを”国民の総意”だと勘違いしているのだ。
沈黙の螺旋
一般的に、自分が多数派であると認識した人間ほど意見を発しやすくなり、逆に少数派であると認識した人間ほど批判や孤立を恐れて沈黙する。
するとますます多数派は自分の考えの正しさに確信を持ち、少数派はますます意見を言えなくなる。
この現象は沈黙の螺旋と呼ばれており、ネットが気持ち悪いコメントばかりになる原因の一つである。
思考力を持つ人間ほど離れていく
このようにして自分が少数派だと認識した人間が取る行動は以下の4つである。
- 沈黙を続ける
- 批判や孤立を覚悟しながらも自分の意見を主張する
- 多数派と同じ考えに変える
- そのコミュニティから離れる
この中でもっとも賢明なのが [4] の“そのコミュニティから離れる”だろう。
結果としてヤフコメを始めとしたネット上のコメント欄は、まともな思考力を持った人間ほど離れていき、あの低レベルなコメントに不快さを感じない者ばかりが残っていくのである。
群集心理
ネットが気持ち悪いコメントであふれている理由として群集心理も大きいだろう。
群集心理の大きな特徴は以下の2つである。
- 一体感
- 無責任性
同じ考えを持つ集団には一体感が生まれる。
一体感は人をより過激にし、一人ならしなかったであろう過激な言動も平気で行えるようになる。
また不特定多数の中の一人となることで責任感はなくなり、ネットならではの匿名性がそれらに拍車をかける。
“いいね”という麻薬
質の低いコメント欄の多くに共通するのが「いいね機能」の存在だ。
いいねという形の共感を得ることで発言者の承認欲求は満たされ、また自らの考えに対する自信を深めていく。
これは発言者に至高の快感をもたらし、一度いいねを受け取った者は麻薬中毒者のように“いいね”を求め続ける。
そして問題なのは、いいねを押す側のほとんどが「賢者」の対極に位置するネット民たちであることだ。
昨今のネット上で共感されやすいコメントは以下の特徴を持っている。
- 単純で分かりやすい
- 論理ではなく感情に訴える
- 自分たちに都合がいい
発言者はより多くのいいねを得るために、ますます単純で感情的な自分たちに都合のいい意見ばかりを発信するようになる。
こうしてネットのコメント欄は気持ち悪い意見であふれかえるのである。
確証バイアス
ネット上に偏った意見が多い理由は確証バイアスという心理学用語でも説明できる。
確証バイアスとは、現在自分の持っている考えを肯定するために都合のいい情報ばかり集めてしまう傾向性のことだ。
「考える」ということは様々な角度から前提を疑うことが基本中の基本なのだが、思考能力の乏しいネット民たちにはこれが難しい。
つねに同じ角度からしか情報収集しないため、偏った意見を偏っていると認識できないのである。
帰属意識が狂気を生み出す
帰属意識とは自分が特定の集団に属しているという意識のこと。
たとえば国、性別、出身校、会社などがその集団にあたる。
帰属意識は集団の団結力を高めるが、一方で他集団への敵対心を強める側面もある。
Twitterで国旗マークをつけた人間が、特定の民族などに対し過激な発言をしているのを見たことがないだろうか?
部外者に異常な攻撃性を持つ一方で、地元愛や仲間意識の強いヤンキーを見たことがないだろうか?
性別にやたらこだわりを持ち、異性に対してヒステリックな言動をする活動家を見たことがないだろうか?
彼らに共通するのが帰属意識の強さである。
おそらく自分というものが存在しないがゆえに自分の属する集団をアイデンティティのように捉え、過剰な愛情を抱いているのだろう。
ネット上には多種多様な集団が存在するため、どんなに頭のおかしい人間でもどこかの集団には所属できる。
そして頭のおかしい人間同士で帰属意識が共鳴し、ますます彼らはその異常性を増していくのだ。
ネットはルサンチマンを抱える者にとって居心地がいい
近年はルサンチマン的思想がネット中に蔓延している。
ルサンチマンとは、弱いことや劣っていることを「善」とし、強いことや優れていることを「悪」とする思想のことである。
すなわち欲望に対する自己欺瞞であり、嫉妬の正当化と言い換えてもいいだろう。
たとえば自分にはとうてい手の届かないような美人に対し
「美人って性格悪いから嫌いなんだよね」
と相手にされない自分を正当化するのがルサンチマンである。
現在のネット上はどこもかしこも、こうした嫉妬深く欺瞞に満ちた思想が蔓延している。
彼らは嫉妬を嫉妬と認めず、価値観を逆転させることで自分を正当化し、強者や恵まれた者に対して醜い怨恨を延々とつぶやきつづける。
だがその怨恨はネット上では正論扱いされ、同族からの共感すら得られる。
ルサンチマンを抱える人間たちにとって、このあべこべ空間はたまらなく居心地の良い楽園なのである。
ネットのコメントは見ないほうがいい
以上のような理由から、ネットのコメントは気持ち悪いものであふれかえっている。
ある程度の思考力を持った人間であれば、不快になる場面のほうが圧倒的に多いだろう。
現在ネットに蔓延する質の低いコメントは見れば見るほど思考力を低下させ、まともな感受性を失わせるものだ。
だからできる限りネットのコメントは見ないことをおすすめする。
とくに以下の記事で紹介しているようなサイトは見ないほうがいい。