人は自分が体験したもの以外、想像することが難しい。
たとえば元総理大臣の麻生氏が昔こんな事を言っていた。
「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」
当時、この発言に批判が殺到したという。
「何を馬鹿なことを言ってんだ麻生は」
「お前みたいな恵まれた坊っちゃんに苦労などないだろう」
こういった意見が世の中の大半を占めたそうだ。
これはボクたち庶民には金持ちの辛さなど1mmも分からないということを如実に示している。
だが金持ちには金持ちにしか分からない悩みがある、というのはよく聞く話だ。
有名な話でいうと「パラノイア(妄想症)」という精神病がある。
常に被害的な妄想に襲われる病気で、またの名を「金持ち病」とも言う。
なぜ金持ち病と言われるかというと、金持ちには金にまつわる辛い出来事が多いらしい。
たとえば
- よってくる人間のほとんどが金目当てである
- 金が原因で何度も騙された
- 自分自身を見てもらえない
こういった出来事が次から次へと続き、次第に人間不信に陥る金持ちは多いのだという。
一見幸せにしか見えない金持ちでも、このように金持ちにしか分からない悩みがあるということだ。
だがこういった話を聞いても
「贅沢な悩みだ」
と思う人は多いかもしれない。
実際ボクも”金持ちの悩み”に対してそこまで共感できるわけではない。
要するに人はどうしても自分が経験したものしか想像が及ばない生き物なのだ。
もちろん理解しようという努力があれば、ある程度歩み寄ることは出来るが、それでも実際に経験したかのようなリアリティを持って共感することは出来ない。
どんなに共感したくても、実際に体験したことがある人間とそうでない人間では大きな壁がある。
そして何より、わざわざ共感したい、理解したい、と思う人間はほとんどいない。
これはある意味仕方ないことではある。
ボクだってそうだ。
たとえば子供がいないボクに、子育ての大変さに悩む親の気持ちは想像がつかない。
だからと言ってわざわざ勉強して理解しようという気持ちもわかない。
仮に好きになった人がバツイチ子持ちで、付き合う話になったとする。
そうなれば、そこで初めて理解しようという気持ちが芽生えるかもしれない。
あるいは自分自身に子供が出来た時、そこで初めて子育ての大変さを知ることになるかもしれない。
だがそれらが自分の身に起こらない限り、子育てに悩む親の気持ちを本気で理解したいと思う機会はないだろう。
要するに人は自分が体験したもの、あるいは興味のあること以外に対しては、なかなか理解しようとは思わないワケだ。
前置きが長くなったが、ここでやっとタイトルの話になる。
人は失敗を重ねるほど魅力的な人間になる。
これは失敗を重ねれば重ねるほど、共感できるものが増えるからだ。
たとえば大学受験に落ちた人は、同じように受験に失敗した人の気持ちがわかる。
世間で言われる”まっとうな社会人”のレールから落ちたニートには、同じように群れから脱落した人間の気持ちがわかる。
ダイエットにいつも失敗する人は、同じようにダイエットが続かない人間の気持ちがわかる。
友達がいない人には、友達がいない孤独な人間の気持ちがわかる。
離婚したことがある人には、同じように離婚して苦労してる人の気持ちがわかる。
失敗したことが多い人ほど、理解できる他人の気持ちが増える。
また、出来ないものが多い人ほど、その分共感できるものも多くなる。
失敗が多い人生を歩むほど魅力的な人間になるんじゃないか。
ボクはそんな気がする。