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20年ぐらい口を利いていない兄の話

このブログで話すのは初めてかもしれないが、僕には5つ年の離れた兄がいる。

ボクとは対照的に兄は(ボクの目から見ると)いわゆる“常識人”だ。

兄とは口を利かなくなって20年ぐらい経過する。

ちなみに父親とも小学校時代からほぼ口を利いていない。

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教育ってそこまで人格形成に影響するかね?

世の中では子供が何か問題を起こすと、なんでもかんでも親や学校の教育のせいにする風潮がある。

だが兄を見ていると、人の性格や能力というのは、もともと生まれもった性質が大半を占めているように思えてならない。

というのも、ボクの両親は兄弟どちらも同じように育てたが、まったく異なるタイプの生き物に育ってしまったからだ。

学生生活の大半をぼっちで過ごしたボクとは対照的に、兄は昔からたくさんの友人がいて、いわゆる典型的な“リア充”だった。

『彼女いない歴=年齢』のボクとは違い、彼女がいない時期がないのでは?というぐらい兄は常に誰かと付き合っている。

ボクは学年で1,2を争うほど運動神経の悪い生徒だったが、兄はリレーのクラス代表に選ばれるような運動センスを持っていた。

ボクの味覚は昔から異常である。

親からは何千回と叱られ、自身も幾度となく直そうと試みたものの改善できず、給食の9割が食べられない少年だった。

一方兄はもともと好き嫌いがなく、努力などせずとも何でも食べられる“正常”な舌を持っていた。

(常識というのは不思議なもんで、聴覚や視覚に異常がある者がそれを改善できなくても誰も責めはしないが、味覚に異常がある者がそれを改善できないのは本人の甘えであり、いくらでも責めて構わないらしい)

大学を出てからもこの差は埋まらない。

サラリーマンという“まっとうな社会人”となった兄に対して、ボクは大学でも一切就活をせず、そのままフリーターになった。

その後10個ぐらいのバイト先を転々とし、現在では半ニート生活を送っている。

“親の影響”という言葉をよく聞くが、ボクの親はいたって常識人であり、僕とはまったくもって価値観が合わない。

突然変異でおかしな奴が生まれてきたのである。

親はすぐにキレて怒鳴り散らすタイプなので、表面上は大人しく従うことが多かった。

だが内心では常に親と異なる考えを持っていたし、教師の発言に対しても疑問や反感を持つことが多かった。

つまり仮にどんな教育を受けたとしても、ボクの生まれ持った脳みそは社会不適合者への道を歩ませていたと思う。

考え方の違い

物事の考え方もボクと兄とではまったく違う。

たとえば兄は就職するとすぐに家を出た。

ボクはこの理由が全く理解できない。

地元が田舎で仕事先がないならともかく、住んでいたのはある程度都心にある一軒家だ。

就職先も自宅から通える範囲内である。

親に出ていくことを強制されたわけでもないし、親子仲もそれほど悪くない。

ボクとは学生時代にケンカをしてから一切口を利かない関係だが、とくにお互い干渉することもないし、べつに憎み合っているワケでもない(と思ってる)。

ある調査によると、一人暮らしにかかる平均費用は約15万だという。

仮に日給が1万円とすると、15万稼ぐのに15日かかる。

実家暮らしなら払う必要のない費用を15日も必死に働いて支払う。

親のすねをかじり、実家でノンキにぬるま湯生活を送っているボクからすると、兄は15日間無駄働きしてるようなもんだ。

(実質時給を考えるとさらに失うモノは大きい)

では一人暮らしには、このぬるま湯生活を上回る強大なメリットが存在するのだろうか?

一人暮らしで得られるメリットについて考えてみよう。

  • 自立しているという満足感や世間的評価が得られる
  • 家を自分好みにできる
  • 家族に気を使わなくていい
  • 家族にイラつくことがない
  • 彼女や友達を遠慮なく呼べる
  • 職場が近くなる
  • 好きな街に住める
  • 経済感覚が身につく
  • 家事が身につく
  • 人生経験になる

ほかにもあるだろうが、パッと思いつくのはこんなもんだ。

果たしてこれらのメリットが“15日無駄働きする”というデメリットを上回るだろうか?

ボクの価値観からすると、それは99%あり得ない話だ。

実家暮らしに何の不満もないのかと言えばそうでもない。

穀つぶしという立場上、いかに理不尽な罵倒をされようが何も言い返すことはできない。

ボクと違い親は常識人なので、世間の親が言いそうな文句(情けない、自立しろ、いつまで親のすねをかじるんだ?など)もたびたび言われている。

毎朝5:00ぐらいにオヤジの痰を吐く音で目覚めるのも非常に気分が悪いものだ。

しかし月に15日タダ働きすることと比べれば、そんな不満など屁みたいなもんである。

1日たった数分の小言とオヤジの奏でる噪音を我慢するだけで、1日8時間以上の拘束が15日分免除される。

親がとんでもないクズであるとか、実家が田舎過ぎて職がないとか、大学が近くにないという理由でもない限り、一人暮らしのメリットがデメリットを上回ることはないように思える。

なぜ一人暮らししたがるのか?

人によって当てはまらない場合もあるだろうが、家を出る必然性がないにもかかわらず一人暮らしをする理由には

「大人になったら一人暮らしして自立するもの」

という常識的観念や

「いい年した大人が親のスネをかじるのは恥ずかしい」

という世間体を気にする心理も大きく影響しているのではないだろうか。

だがこれらの常識・世間体は「なぜ?」を突き詰めていけば、これといった合理的理由は存在しないように思える。

「お前の言ってることはすべて甘えだ!実家暮らしの自分を正当化したいだけだ!」

古臭い常識的な価値観がカラダの芯までこぶりついてしまった人はこう思うかもしれない。

だが

「なぜ甘えることが悪いのか?」

という疑問に対して説得力のある回答ができる人は少ないだろう。

これに対しても常識論を好む人たちが口にしそうな反論は手に取るように思い浮かぶ。

だがその反論も「なぜ?」と延々問いただしていくと、結局のところ合理性のある回答は得られないどころか、相手の自己矛盾があぶり出される。

(長くなるので今回は省略するが)

結局のところ

  • 常識への疑いなき信仰心
  • 「私がこんなに我慢して頑張ってるのに許せない」という八つ当たり
  • 苦労することには価値があるという自己欺瞞

これら3つが彼らの発言の基盤にあるんじゃないかと思う。

注)これは一人暮らししてる人に対する批判ではなく、実家暮らしを批判する人に対する批判である

ちょっと話がそれてしまったが、結局のところ個人の性格や能力を決めるのは、後天的教育よりも生まれつきの要素が大きいと思っている。

同じ両親のもとで同じように育てられても、一方は兄のように“まっとうな社会人”、もう一方はボクのような“ならず者”に育ってしまう。

だからボクは、優秀な子を持つ親が『優秀な子供を育てるメソッド』みたいな持論を得意げに発信しているのを見ると違和感を覚える。

まるで“有名人の嫁”という売りで知名度を得た人間が自らに才能があると勘違いしているのを見たときと同じように。

「たまたま子供が優秀だったのをなぜ自分の手柄のように勘違いしてるんだろう?」

「自分を良く見せるアクセサリーとして子供を利用してるんじゃないか?」

「すごいのは君じゃないよね?」

そんなひねくれた目で彼女たちを見てしまう。