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18歳差の旧未成年と結婚すると気持ち悪いらしい

お笑い芸人の岩井勇気氏の結婚が話題になっている。

驚いたのはそのコメントのほとんどが祝福の言葉ではなく罵詈雑言だということだ。

ネット民の下劣さは今に始まったことではないが、とうとう結婚というおめでたい話題ですら誹謗中傷を書き込まずにはいられなくなったらしい。

当初僕は

「また例の被害妄想家たちがヒステリーを起こしているのだろう」

と思って気にもとめなかったが、どうやらそうではないようだ。

あの界隈だけでなく、ネットコミュニティ全体が岩井氏を侮辱するムードになっているのである。

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18歳離れた旧未成年との結婚は気持ち悪いらしい

結婚発表の話題でなぜ罵詈雑言があふれるのかはまったくもって理解不能だが、一応どんな結婚発表だったのか概要をまとめておこう。

  • 岩井氏が18歳年下の女性との結婚を発表
  • 女性の年齢は現在19歳(旧未成年)
  • はじめて出会ったのはテレビ番組で当時相手は13歳だった

ヤフコメやツイッターで岩井氏に罵詈雑言を浴びせている者たちの言い分を見てみると、

  • 19歳はまだ社会経験がなく判断力が未熟な子供だから
  • せめて20歳まで待つべきだ
  • 自分が女の子の親だったら許せない
  • 女の子は年齢を重ねてから後悔するに違いない
  • 13歳の頃から相手を恋愛対象として見ていたと思うと気持ち悪い

というのが主な理由らしい。

理由を見てもやはり理解不能だ。

「19歳はまだ社会経験がなく判断力が未熟な子供だから」

「19歳はまだ社会経験がなく判断力が未熟」

まるで今の自分には判断力があるかのような言い草である。

面白いのは、この主張が書き込まれている場所は判断能力ゼロの人間が大半を占めるヤフコメだということだ。

彼らは年齢と判断力が必ずしも比例するわけではないことを示す好例であり、社会経験が人間性を育むという俗説の反証例でもある。

19歳どころかちょっと利口な中学生ですら彼らよりは分別があるだろう。

「せめて20歳まで待つべきだ」

20歳という基準はどこから来たのだろう。

今の日本の基準では18歳から成人であり、19歳は未成年ではない。

高校卒業も18歳だし、20歳になった途端に判断能力が上がるわけでもない。

まったくもって意味不明な判断基準である。

まあロジックではなくフィーリングで物事を判断するネット民らしい主張ではあるが……

「自分が女の子の親だったら許せない」

「自分が女の子の親だったら許せない」

という意見も多い。

だが当事者である女性側の両親が岩井氏との結婚を認めているのに、両者と何の関わりもないネット民が他人の結婚に首を突っこんでとやかく言うのは違和感しかない。

彼らは自分たちの軽率な書き込みが岩井氏だけでなく女の子やその両親も傷つけていると気づかないのだろうか?

それすら分からない人間が、さも自分が“まともな親”であるかのような言動をしているのは片腹痛い。

「女の子は年齢を重ねてから後悔するに違いない」

「岩井と結婚した女は年齢を重ねてから後悔するに違いない。ソースは若いころ年上に恋した自分だ」

この話題に限らず、この手の主張を振りかざす者は驚くほど多い。

要は

「若いころの自分は未熟だったから他の人間もそうに違いない」

という安易な一般化である。

そりゃ今でさえ分別能力の乏しいネット民の若いころが今以上に無分別だったのは想像に難くないが、その低い基準をほかの人間に当てはめるのはおかしな話だろう。

彼らがまず気づくべきなのは「自分はまともな大人である」という大前提がそもそも間違っていることだ。

「13歳の頃から恋愛対象として見ていたと思うと気持ち悪い」

岩井氏の結婚の記事から分かるのは、はじめて出会ったのは相手が13歳のときだったという話である。

だが一部のネット民は実際には書かれていない文章を脳内で勝手につけ足し、

「岩井は相手が13歳のときから恋愛対象として見ていた」

という妄想を事実として脳内変換しているのだ。

あるいは13歳からではないにしろ、

「19歳になって突然付き合い出すなんておかしい。もっと前から付き合っていたか恋愛対象として見ていたはずだ」

と決めつけ、

「岩井はいい年して女子高生を恋愛対象として見ている気持ち悪い男だ」

と断罪している者も数多く見受けられる。

こうした主張には大きく2つ疑問点がある。

ひとつは憶測を事実と決めつけて中傷を書き込むのはあまりに“判断”が軽率すぎるのではないか?ということ。

もうひとつは“いい年して女子高生を恋愛対象として見る”のは非難されて当然のことなのか?ということだ。

とくに2つ目に関しては今この記事を読んでいる読者の中にも「非難されて当然だ」と感じている者が少なくないと思っている。

だが本当にそうなのだろうか?

綺麗事を抜きにすれば、恋愛において容姿が大きなウェイトを占めることを否定できる者はそれほど多くないだろう。

少なくとも僕の恋愛における価値基準は

顔>>>>>>>おっぱい>>性格

である。

それを踏まえて人間の容姿が10代中盤から30代前半ぐらいまで大きく変わらないことを考えると、10代中盤の女性に好意を抱くことがそれほど異常な性癖とは思えない。

(僕が日頃から10代の女性をいやらしい目で見ているという意味ではないので早とちりしないように)

また時代や国によっては10代前半から結婚可能であり、年の差をまったく気にしないような文化もある。

つまり彼らが思っているほど「年の離れた未成年と恋愛する=不道徳」という価値観は自明なものではないのだ。

「仮に好きになってしまったとしても、まっとうな大人なら理性で抑えるべきだ」

というような意見も多い。

だが赤の他人の結婚発表に対して罵詈雑言を書き込んでしまうような理性の持ち主が、理性がどうたらと語ったところで説得力がない。

他人を非難するより前に、活動停止中の自分の理性をどうにかしたほうがいいだろう。

どうも彼らは“まっとうな大人”だの“常識”だのという言葉が好きなようだが、その“まっとうな大人の常識”とやらを押しつける行為が多くの人間を傷つけている可能性は想像できないのだろうか?

……できないんだろうね。