われわれは幸福を感じているとき、鈍感になっている。
アルコールを好む者は、酒を飲むことで幸福感を覚える。
だがそのとき理性の働きは鈍化しているだろう。
人は恋をすると幸福を感じる。
恋は盲目という言葉もあるように、他のことが手につかなくなったり、相手のすべてが魅力的に見えたりする。
ところが数年経って冷静に振り返ってみると「あの人のどこがそんなに良かったのだろう?」という感情が芽生えるのはよくある話だ。
朝から晩までエ口動画探しに夢中になり、気がつけばそれだけで一日が終わってしまった。
夢中になっている間は幸福感に包まれている。
だが目的を達成し、理性が復活すると
「なぜオレはあんなムダな時間を……」
という後悔と虚無感に襲われる。
そんな経験を何百回も繰り返しているのは僕だけじゃないだろう。
ひとりの死は悲劇的だが100万人の死は統計的だ
群衆を目にしても私は決して助けようとしません。それが一人であれば私は助けようとします。
これはマザーテレサが述べたとされる言葉だが、われわれの不合理性と鈍感さをよく表している。
ユニセフの2013年の発表によると、世界では毎日約1万8千人の子どもが命を落としているという。
さらに子供に限定しなければ、世界では毎日約16万人がなんらかの理由で亡くなり、日本だけでも毎日約3,800人が亡くなっている。
しかし今この数字を見たあなたは、おそらく悲しみをほとんど感じていないのではないだろうか?
その一方で、ドキュメンタリー番組や映画でたったひとりの不幸に焦点を当てられると、胸を締め付けられるような痛みや悲しみを覚える者が多い。
理屈で考えれば16万人の不幸はひとりの不幸の16万倍悲しくても良さそうなものだが、まずそうはならない。
それどころか16万人の不幸以上にひとりの不幸を悲しむ例も珍しくない。
スターリンが述べた(とされている)ように「ひとりの死は悲劇的だが、100万人の死は統計的」なのだ。
以下は心理学者のポール・スロヴィックらによる実験だが、こうした不可解な人間心理が見事にあらわれている。
- アンケートに回答してもらい、5ドルを報酬として渡す
- 食料危機に関する記事を読ませ、問題の解決を支援するために受け取った報酬のいくらを寄付するか尋ねた
- グループAには「数百万人の子どもが食糧不足で困っている」という統計的事実を示す
- グループBには飢餓に苦しむひとりの少女の名前と顔写真を示す
- 支援に回す平均金額はグループAが23%、グループBが48%だった
このような現象は「身元がわかる犠牲者効果」とも言われる。
なぜ人間がこのような不合理な行動を取るのかについては諸説あるが、本題から逸れるのでその話はここではしない。
ここで主張したいのは、われわれが幸福でいられるのは毎日失われている16万の命を真剣に考えていないからだということだ。
言い換えれば他人の不幸に鈍感になっているからこそ幸福でいられるのである。
人は明日自分の小指を失うと知っていたら、まったく眠れなくなるだろう。だが数億人が破滅しようと、彼らの姿を実際に目にすることがなければ、呑気にいびきをかきながら深い眠りにつくだろう。
アダム・スミス『道徳感情論』
不幸が視野を広げる
ここまでの話を誤読している読者が少なからずいると思うので一応言っておくと、鈍感になることが必ずしも悪いと言いたいわけではない。
人が生きていくためにはある程度の鈍感さは必要だろう。
また、
「自己欺瞞に支えられた幸福を選ぶよりも真実を直視するべきだ」
という義務論をこの記事で展開したいわけでもない。
僕自身も真実から目をそらすことで幸福を味わっている鈍感な人間のひとりである。
僕が言いたいのは、幸福と鈍感さはつねに表裏一体の関係にあるという話だ。
それは裏を返せば不幸に苛まれているときは感覚が鋭敏になっていることを意味する。
たとえば満腹のときと空腹のときでは味の感じ方がまったく違う。
普段は物足りなさを感じる水道水でも、運動後の喉がカラカラの状態で飲めばこの上なく美味しく感じる。
つまり空腹や喉の乾きという一種の不幸が味覚を鋭敏にさせるのだ。
盲目の者は、そうでない者と比べて視覚以外の感覚が優れていることが多い。
彼らの中には音の反響によって物体の位置を特定する「エコーロケーション」という能力を持つ者もいるという。
これも盲目という一種の不幸によって、ほかの感覚器官が研ぎ澄まされているのである。
偉大な作家や哲学者には、幼少期から青年期にかけて孤独な青春時代を過ごしていた者が多い。
もしも彼らが順風満帆な生活を送っていたとしたら、おそらくその鋭敏な洞察力が養われることはなかっただろう。
(あるいは鋭敏な洞察力が彼らを孤独にしたのかもしれないが……)
人は不幸な状況に置かれると、幸福なときには見えなかった景色が見えるようになる。
逆に幸福な状況に置かれると、不幸なときには見えていた景色が見えなくなる。
自分自身を振り返ってみても、確かにそのとおりだ。
物事がうまくいっている時はあまり反省する機会もなく、傲慢かつ鈍感な考えになっていることが多い。
逆に物事がうまくいっていない時は「このままではまずい」という意識が生まれ、自分を見つめ直したり過ちに気づいたりする。
新たな何かにチャレンジしようと決意するタイミングは、いつも何かを失った直後だった。
人間たちは、実際にはめったにものを考えたりしないし、考えるにしても、意欲が高まってというよりむしろ、何かショックを受けて考える。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』上巻 財津理訳