僕も30代になり、高齢ニートと呼ばれるオッサンになってきた。
ネットを見渡してみると、同世代のニートたちは将来に対し希望を失っているケースが多い。
「もはや高齢ニートには絶望しかないのか?」
…ぶっちゃけ僕はそんなことを思ったことはほとんどない。
『30代、中退歴2回、正社員歴なし、バイト15退職、コミュ障』
という絶望的な経歴を持ち、現在進行系でニート生活をしているボクだが、それでも将来に絶望したことはほとんどない。
というか、けっこう希望を持っていたりする。
むしろ普通に働いてるサラリーマンよりも明るい希望を持ってるんじゃないだろうか。
一体なぜボクはニートなのに絶望していないのか?
ニートと絶望と才能
ニートなら一度は自分の才能の無さに絶望したことがあるだろう。
- 勉強の才能
- スポーツの才能
- コミュニケーションの才能
- 続ける才能…etc
今回はわかりやすく才能をRPGゲームに例えて話をしていく。
生まれもった才能の違いというのは残酷で、人生には下のような例がよくある。
才能がない人が100の経験値をためてレベル2になってるあいだに、才能がある人は同じ経験値でレベル10ぐらいになっている。
というか才能がある人はそもそも生まれたときからレベル10ぐらいあったりする。
ずいぶん不公平な話だ。
こうした不公平を味わった才能のない人が
「こんなクソゲーやってられるか!!」
と怒り狂い、コントローラーをぶん投げたくなる気持ちはよく理解できる。
また10の経験値でレベル2になれる人が、100の経験値がないとレベル2になれない人に対し
「お前の人生がうまく行かないのは努力が足りないからだろ」
といえば反感を買うのも無理はない。
『同じ努力の量でも人によって得られる結果が違う』という残酷な現実を無視してるからだ。
目標を下げる
しかしいくら自分が才能に恵まれなかったからといって、ゲームと違い人生はリセットできない。
いや、リセットボタンがないこともないが、一度リセットしてしまうと二度とゲームを再開できない可能性が高い。
仮に新しくゲームを始められたとしても、今の人生より恵まれた状態で生まれてくる保証はどこにもないし、これまでのプレイデータや良かった思い出まですべて消えてしまう。
となれば、いつまでも勇者の才能に僻んでいても時間の無駄なので、才能がないなりに人生を楽しむ道を探したほうが、本人にとって有益であると思っている。
レベル50以上に成長するには才能がいるにしても、レベル20ぐらいまでなら”そこそこの努力”でもなれたりする。
また「あるジャンルの才能は0でも別の才能なら平均程度はある」というように得意・不得意は誰にでもあるため、得意なジャンルを選べばレベルは上がりやすくなるだろう。
そして今はyoutubeやブログ、ココナラといった様々な発信手段があり、レベル20どころかレベル10程度でも十分需要があったりする。
才能のいらない世界
「まともな職=会社に雇われた正社員」
という常識に縛られてる人は未だに多いが、それ以外の働き方というのは今や腐るほどある。
またこうした仕事は『職歴』『学歴』『コミュ力』といった一昔前まで重要視されてきたことが不要で、単に需要と供給が一致すれば成立する。
どれほど悲惨な履歴書を持っていようが、ちょっとした努力や工夫次第でどうにでもなる世界だ。
さらに幸運なことに、現代ではレベル10まで努力する人間がそれほどいない。
今の世の中は便利さを得たことと引き換えに、スマホゲームやSNS、youtubeといった努力を妨害するコンテンツがあふれている。
誰も彼もが快楽の海に溺れ、レベル1~5あたりで満足している人間が大半だったりする。(別にそれが悪いワケではないけど)
SNSやスマホゲームをやってる時間をなにかの勉強に費やすように変えれば、周りにいる大半の人間よりもそのジャンルに精通した人間になれるだろう。
実際ボクもそうした時間を有効活用して、他の人より詳しくなったり、出来るようになったものは結構ある。
また現在では才能の無さを補うためのノウハウも発信されている。
RPG風にたとえるなら、一度にもらえる経験値を上げてくれたり、最大MP(やる気)を上げてくれるアイテムだ。
たとえば
「モチベーションを上げる方法」
「脳を鍛える方法」
「効率よく勉強する方法」
「誘惑に打ち勝つ方法」
「プロが教える〇〇」
といった便利アイテムが図書館やyoutube、amazonなどで無料、もしくは低価格で入手できる。
これらのノウハウは経験上、まったく効果がないものもあるが、そこそこ効果を発揮するものも存在する。
よっぽど向いてないジャンルを選ばない限り、こうしたアイテムも活用すれば、たいていレベル10~20ぐらいまでは上達できるだろう。
ニートでも絶望しない理由
僕はそんな感じの考え方をしているため、ゴミみたいな履歴書を持っているにも関わらず、実は将来に絶望したことはほとんどない。
常になんかしらの夢や希望を持って生きている。
『中退2回、正社員歴なし、バイト15回退職、コミュ障、忍耐力0、友人0』
という僕のプロフィールは仮に昭和の時代なら絶望しかなかっただろう。
しかし幸い今の時代はどんなに履歴書が終わっていようが、先程例に挙げたようなそもそも履歴書を必要としない職業も多数存在する。
分かりやすい例でいえば、youtuberなんかは社会不適合者と呼ばれるような人間や、なんのスキルも持ち合わせていない人間でも数多くの成功例を出している。
youtuberと聞くと「迷惑配信者」や「ウェーイ系」のイメージを持つ人もいるとは思うが、必ずしもそんな配信者ばかりではない。
例えばこれなんかは誰にも迷惑をかけず、かつ全くスキルがいらない、ほぼ思いつきのみで90万再生を突破している↓
この人はこれを収益化してるのかどうか知らないが、こんな感じのとくにスキルを必要としない動画でも収益を得ることに成功している例は山ほどある。
もちろんyoutubeはある程度、運や才能の要素も絡んでくるだろう。
だが他にもクラウドソーシング、ココナラなどといったそれほど才能がなくても稼げる方法も現在では数多く存在している。
現時点で稼げるようなスキルが無いならこれから身につければいい。
先程もいったように「自発的な努力」を続けられる人間は意外と少ないので、そこまで高いレベルを目指さなくとも、レベル10程度までいけば十分需要が出てくる。
もしニートなら『自由に使える時間の多さ』という点ではほかの誰よりも有利なので、有効活用できれば可能性は無限大だと思っている。
ニートに希望がないのは昭和の常識にこだわってるから…かもしれない
「まっとうな人生=会社に勤める人生」
という昭和の常識にこだわればニートには絶望しかないかもしれない。
しかし『会社員』などというものにこだわらなければ
- 対人関係が苦痛で仕方ない人間でも、家から一歩も出ずにできる仕事
- 職歴や学歴がなくてもできる仕事
- スキルがなくてもできる仕事(あるいは少し勉強すればできる仕事)
- 週5で8時間も働かなくていい仕事
実は探せばけっこうある。
こうした別の選択肢にも目を向ければ、僕のようにゴミみたいな履歴書を持ってるニートにも割と希望はあったりする。
いやむしろ勉強する時間をいくらでも捻出できるニートの方が希望を叶えられる可能性は高いかもしれない。
なので何の経歴もないニートでも「絶望しかない」というほど悲観的にならなくてもいいんじゃないだろうか?
…そんなポジティブなこと(現実逃避?)を考え、いろいろ勉強するようにしている。