夏休みの宿題を最終日にあわてて終わらせる。
そんな子供は割とけっこういるんじゃないだろうか?
ボクはというと、最終日になってもやらず、学校が始まれば当然先生に怒られるという、どうしようもないアホな少年だった。
夏休みの宿題をやらない少年はその後どうなったのか?
夏休みの宿題をやらない少年
「やったんですけど持ってくるの忘れました」
30回ぐらい言った記憶がある。
少しでも心象が良くなるよう、当時のボクなりに創意工夫して口にした嘘っぱちだ。
『やったけど忘れた>>>そもそも手を付けてない』
こんな図式が当時のボクにはあった。
たとえ一切手を付けていなくても、先生にそれを確かめる術(すべ)はない。
そこを逆手にとった、子供ながら実に卑怯な言い訳である。
「それはやってないのと同じだ」
先生はぐうの音も出ない正論をアホな少年にぶちかました。
過程なんか知ったこっちゃない。結果が全てだ。
そんな社会の厳しさを、子供の頃から身に着けさせる目的があったのかもしれない。
(いや、やってないよりはマシだろ)
そんなことを心の中で思ったが、当時のボクは先生に逆らうような反抗的な子ではない。
「明日必ず持ってきます!」
という1mmも心にないセリフを口にし、その場を切り抜けた。
そんなやりとりを始業日から4日ぐらい続ける。
すると先生の方に変化が起きた。
宿題を提出しろと言ってこなくなったのだ。
とはいえ、ボクも気が気じゃない。
いつ宿題を提出しろと言われるかわからない。
突然キレられるかもしれない。
そんなビクビクした日々を2週間ぐらい続ける。
…いや、宿題やりゃいいじゃん?
そう思うかもしれない。
ボクもフツーにそう思う。
しかしその時のボクにはその時なりの言い訳があった。
夏休みの宿題をやらない理由
まず宿題というのは作文である。
夏休みの思い出を書け!とかそんな感じのテーマだったと思う。
だが当時のボクは作文というのがとにかく苦手だった。
今となっては毎日4000文字ぐらい楽勝で書けるが、当時のボクには400文字の原稿用紙が鬼に見えた。
なぜなら原稿用紙の右端3行しか埋められないほど壊滅的な文章力だったからだ。
そりゃそうだ。
当時のボクは本も読まなきゃ、友達との会話も全くない。
文章に触れる機会が他の子と比べて圧倒的に少なかった。
おまけにテーマがキツイ。
夏休み中一歩も外に出てない子に「夏休みの思い出を書け」と言うのは中々の鬼テーマである。
一日中家にいてどんな思い出が生まれようか。いや生まれない。
そんなこんなでボクは夏休みの宿題をあきらめた。
代わりに先生があきらめるのを待つ作戦に出る。
最悪「出せ!」「明日必ず持ってきます!」の問答を春休みまで続け、最終的にクラス替えで逃げ切ろうという算段だ。
しかし先生は4日ほどで諦めた。
そりゃそうだ。
毎朝この意味のない問答を延々ループするのは時間の無駄以外の何物でもない。
宿題を提出させることを諦めたと言うよりも
「こいつダメだわ」
と僕そのものに見切りをつけたのだろう。
『注意されるうちが華。本当に見放された人間は何も言われなくなる』
という言葉があるが、まさに僕は後者に当てはまる。
思い返してみると、昔からとんでもないダメ人間だったようだ。
夏休みの宿題をやらない少年は、嫌なことは基本やらない社会不適合者へと順調に成長した。