有名人の死が報道されると、ニュースのコメント欄やSNSは
「ご冥福をお祈りします」
という言葉で埋め尽くされる。
ボクは昔からこの「ご冥福をお祈りします」という言葉が大嫌いだった。
いったいどうしてだろう?
「ご冥福をお祈りします」が嫌いな理由
なぜ「ご冥福をお祈りします」が嫌いなのか?
理由の一つは、この言葉にはまったく心がこもっていないように感じるからだ。
ご冥福をお祈りしますと口にする人間の中に、本当に“お祈り”している人間がどれだけいるだろうか?
ほとんどの人間はまったく祈っていないにもかかわらず「お祈りします」と平気で嘘を吐いているのではないだろうか?
仮に本当に祈っていなくても、悲しむ気持ちがあればまだいい。
だが実際にはほとんど悲しんでいないにもかかわらず、
「誰かが亡くなったらこの言葉を発するのが常識になっているからとりあえず言っておく」
という人間が相当数いるように感じられるのだ。
誰に向けた「ご冥福をお祈りします」なのか?
もちろんなにかコメントを求められて、この言葉以外に表現が浮かばない状況もあるだろう。
別にこの言葉を聞くたびに腹を立てているワケではない。
「ご冥福をお祈りします」を気持ち悪いと感じるのは、それがネットに書き込まれたときである。
以下は実際にTwitterやヤフコメなどでよく見かける定型句だ。
①とくにファンでもないけど亡くなったのは悲しい。ご冥福をお祈りします。
②この方のことはよく存じませんが、ご冥福をお祈りします。
③この人のことは嫌いだったけど、ご冥福をお祈りします。
④まずはご冥福をお祈りします。ただ~
どれも本当に冥福を祈っているのかは非常に疑わしい。
①とくにファンでもないけど亡くなったのは悲しい。ご冥福をお祈りします。
①に関しては悲しいという気持ちが嘘だとは言わない。
だがおそらく3日後には完全に忘れているだろう。
個人的にはファンが「ご冥福をお祈り」するのはまだわかるが、それまで関心がなかったのならわざわざコメントする必要はないんじゃないかと思っている。
“便乗感”や“偽善者感”を覚えてしまうというのが正直なところだ。
②この方のことはよく存じませんが、ご冥福をお祈りします。
②はヤフコメでよく見かけるコメントだが、100%冥福を祈っていないだろう。
③この人のことは嫌いだったけど、ご冥福をお祈りします。
③もよく見かけるが、やはり前半部分は余計でしかない。
本当に冥福を祈っている人間がわざわざ「嫌いだったけど」という枕詞をつけるのか甚だ疑問だ。
ボクの心が汚れているだけかもしれないが、
「たとえ敵であっても冥福を祈れるぐらいの器の大きさを私は持っていますよ?」
と周囲にアピールするのが目的なのかと勘ぐってしまう。
④まずはご冥福をお祈りします。ただ~
④は率直に言って、もっとも気持ち悪い「ご冥福をお祈りします」である。
というのも完全に単なる保身目的でしかないからだ。
このテンプレートを使用する人間の本当に言いたいことは「ただ」のあとに続く故人への悪口なのだが、それだけ言ってしまうと自分が非難されてしまう。
つまり自分への非難を避けるために「ご冥福をお祈りしています」という言葉を“弾除け”として使っているのである。
本当に故人を悼む気持ちがある人間は、冥福を祈ったそばから死者に鞭打つような真似はしないだろう。
「ご冥福をお祈りします」が嫌いな理由まとめ
以上が「ご冥福をお祈りします」が嫌いな理由である。
本日、ある政治家が亡くなったとの報道が某ニュースサイトのランキングで1位になっていた。
そしてそれに対するコメントの多くが④のテンプレートから始まるものだった。
以前書いた記事で、有名人の死亡が報道された途端にネット上が偽善者であふれかえる現象を皮肉ったことがある。
だが今にして思えば、あの状況すらまだマシだったのかもしれない。
死者にムチを打つことに何の抵抗もない人間があふれかえっているネットの現状を見て、そう思った。