ここ最近は「論破」という言葉をよく目にするようになった。
どうもこれは僕が知ってる「論破」という言葉とは全く別物の同音異義語らしい。
というのも、ぼくが知っている旧来の「論破」という言葉は
- 議論をして相手の説を打ち破ること
- 相手の主張の矛盾する点を論理的に指摘すること
という意味であった。
しかしボクの見る限り、昨今のネット上ではこの用法で「論破」が使われているケースがほぼ皆無なのである。
どう見てもまったく論破などしていない状況でこの言葉が使われているのだ。
それどころか明らかに言い負かされてる側が相手を「論破」したことになっているケースも珍しくない。
さらによくよく見てみると、どうもこの言葉を使用している者ほど物事を論理的に考える能力が低い傾向にあるようだ。
論理的に正しいかどうかの判断を下す能力を持たない者が、なぜだか論破という言葉を愛用しているのである。
以上から察するに、おそらく彼らは同じ名前ではあるが別の意味を持った新しい単語を使っているのだろう。
昨今ネット上で目にする「論破」という言葉は、我々が知っているアノ「論破」とはまったくの別物なのだ。
ちょうど犬儒派のディオゲネスと『ギリシア哲学者列伝』のディオゲネスがまったくの別人であるように。
そこでボクは昨今のネット上において「論破」という言葉が使われている文脈を観察し、新しい「論破」の意味を推測することにした。
おそらくだが、新しい「論破」は以下を意味していると思われる。
論破:藁人形をコテンパンにすること
藁人形(わらにんぎょう)とは、いわゆる「藁人形論法」の藁人形である。
藁人形論法とは、相手の言葉を反論しやすい言葉にすり替えたうえで攻撃することだ。
一切の反撃をしない藁人形に例えてこの名前がつけられた。
ストローマン手法やかかし論法とも言われる。
この意味を論破という言葉に当てはめると、それまで虚偽でしかなかった文章も真実になる。
例1:ハイ、論破 →ハイ、藁人形をコテンパンにしました (意訳:あなたの発言を自分に都合がいいようにすり替えてから一方的に反論しました)
例2:Aは大学教授Bを論破した →Aは大学教授Bに見立てた藁人形をコテンパンにした (意訳:Aは大学教授の発言を反論しやすいように歪めてから好きなだけ攻撃した)
ちなみに藁人形論法は、論破ブームの火付け役となった某論破王さんの常套手段である。
なるほど、「論破=藁人形をコテンパンにすること」であるなら彼が論破王と呼ばれるのも納得がいく。
(従来の意味ならば完全に実態とかけ離れた異名だが)
彼がこれまでに言い負かしてきた相手のほとんどは実在する人物ではなく、彼が脳内で作り上げた藁人形に過ぎない。
攻撃したい相手の主張を歪めて引用し、その歪めた主張に反論するという子供だましの大道芸がなぜだか空前の大ブームを起こしているのだ。
アレを“論理的”だと思える人とは一生話が合うことはないだろう。
ところで藁人形論法には意図的にすり替えるケースと、読解能力の欠如によって無意識にすり替わっているケースがある。
某論破王さんがどちらなのかは知らないが、ネット上でよく見かけるすり替えは99%後者と思って間違いない。
まあ前者にせよ後者にせよ、すり替えをすり替えと認識できる人間からすれば極めて不快であることに変わりはないが。