昨今の日本は「日本語が読めない日本人」であふれている。
文章を読めない人が多いのは、ネット上に投稿されている有象無象のコメントを見れば明らかだろう。
ではネットに書き込みをしている特定の層ではなく、日本全体としてはどのぐらいの割合で文章を読めない人が存在するのだろうか?
この記事では「日本語が読めない日本人」の割合がわかる調査結果を紹介しよう。
日本語が読めない日本人
以下の問題は『AI vs 教科書が読めない子供たち』という本から引用したものである。
いずれも基礎的な読解力を試すだけの問題なのだが、驚くほど正答率が低いことに大きなショックを受けた。
残念なことに「日本語が読めない日本人」は想像していたよりもはるかに多いらしい。
今回紹介する問題は全部で4問。
「正解」と書いてある部分をクリックすると正解が表示されるので、あなたも試しに解いてみてほしい。
[問1]
次の報告から確実に正しいと言えることには○を、そうでないものには×を、左側の空欄に記入してください。
公園に子どもたちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です。そして、スニーカーを履いている男の子は一人もいません。
(1)男の子はみんな帽子をかぶっている。
(2)帽子をかぶっている女の子はいない。
(3)帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子どもは、一人もいない。
(1)○ (2)✕ (3)✕
大学生を対象に行われた調査なのだが、それでも正答率はなんと64.5%。
偏差値下位の大学では正答率が5割を切り、私大トップクラス(早慶?)でも66.8%だという。
国立トップクラス(東大京大?)でやっと85%らしい。
[問2]
次の文を読みなさい。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
Alexandraの愛称は( )である。
① Alex ② Alexander ③ 男性 ④ 女性
正解:①
目を疑うような正解率である。
いったいどんな思考回路でほかの選択肢を選ぶんだろうか……
[問3]
次の文を読みなさい。
仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
オセアニアに広がっているのは( )である。
① ヒンドゥー 教 ② キリスト教 ③ イスラム教 ④ 仏教
正解:②
高校生の約3割が間違えるという衝撃の結果。
この問題のどこをどう読んだら間違えるのかまったくもって謎である。
しかも進学率ほぼ100%の進学校で行われた調査らしい。
[問4]
下記の文を読み、メジャーリーグ選手の出身国の内訳を表す図として適当な
ものをすべて選びなさい。メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選
手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国が最も多くおよ
そ35%である。
正解:②
恐ろしくなるほど正答率が低い。
体感的には小学校高学年でも半分以上が正解できる問題だと思ったのだが……
以上、4つの問題を紹介した。
どれも最低限の読解力があれば余裕で解ける問題である。
これらが解らない人は普段から常習的に文章を誤読している可能性が高いと見ていいだろう。
著者の新井紀子氏によると、中学生から高校生になるまでは読解力の向上が見られるが、高校1年生と高校3年生のあいだには読解力の向上はほぼ見られないという。
この事実から察するに、おそらく成人であっても高校生の正答率と大きな差はないと思われる。
つまり大人の約3~4割が問1~問3レベルの文章を読めず、約7割が問4レベルの文章を読めないのだ。
20歳前後をピークに脳の機能が衰えていくことを考えると、文章を読めない人はこれよりもっと多いかもしれない。
世の中には理屈が通じない人間が多いと幼いころから感じていたが、上に挙げた程度の文章が読めないのなら理屈など通じるはずがないのも当然である。
知識量や価値観、考え方の違いという問題以前に、そもそも話してることや書かれてることの意味が理解できていないのだ。
もっと言えば意味を理解できていないことも理解できていないのだろう。
文章の読めない人が読解力を上げるにはどうしたらいいか?
「文章の読めない人が読解力を上げるにはどうしたらいいんだ?」
と思う者もいるかもしれない。
だが残念ながら読解力を確実に上げる方法は存在しないと思っている。
身も蓋もない言い方をすれば、読解力は生まれつきのセンスが占める要素が大きい。
いくら本を読んでも読解力の低い人はいるし、あまり本を読まなくても読解力の高い人はいる。
これは僕がどんなに努力したところでジョニー・デップのようなイケメンにはなれないのと同じである。
努力しないよりは幾分マシになる可能性もあるが、生まれ持った歴然たる差はいかんともしがたい。
生まれつきの差異には努力で挽回可能なものと挽回不可能ものがあり、読解力にも同じことが言えるのだ。
この世でもっとも不快な現象
僕がもっとも不快に感じるのは、知識や知性という分野においては、その差を自覚できないどころか逆転した認識をしている人間が大量に存在することである。
これは他の分野ではほとんど見られない現象だ。
たとえば運動神経が悪い人間は、自分の運動神経が悪いことを自覚している。
口下手な人間は、自分が口下手であることを自覚している。
頭髪が薄い人間は、自分の頭髪が薄いことを自覚している。
森喜朗風にいえば、自分の立ち位置を「わきまえている」のである。
足の遅い人間がリレーのアンカーをやりたいと申し出ることはないし、ハゲている人間がヘアカットモデルに応募することもない。
しかしなぜだか知識や知性といった分野においては、自分の客観的な立ち位置を自覚できる人間がほとんどいなくなるのだ。
学生時代から今に至るまでロクに勉強してこなかった人間でも、ネットやワイドショーから得た僅かな情報量で、長年勉強を積み重ねてきた人間より自分のほうが物を知ってると勘違いしてしまう。
偏った情報を鵜呑みにしているだけの人間が、物事を多面的に見てる識者に対して「アイツは馬鹿だ」なんて言葉を軽々しく吐いてしまう。
ほかの分野ではそんな錯覚はまず起こさないのに、知識や知性に関しては自分と相手との差が一切わからなくなるのである。
文章が読めない人の読解力は読書で上がるのか?
「文章が読めない人の読解力を上げるには読書がいい」
これは昔からよく耳にする話であり、正しいと思ってる人も多いだろう。
だが『AI vs 教科書が読めない子どもたち』によれば、読書量と読解力との間に相関性はないという。
まずは読書習慣。読書は好きか、苦手か。好きだと答えた場合にはいつごろから好きか、苦手な場合はいつごろから苦手になったか、直近の1ヵ月で何冊読んだか、好きな本のジャンルは文学かノンフィクションかなど、かなり細かく尋ねました。その結果、どの項目も能力値と相関が見当たらなかったのです。
一般人よりはるかに読書量が多いはずの大学教授の知性がピンキリであることを考えると、この結論には納得がいく。
あるいは利用者の多くが読書家である「ブクログ」や「読書メーター」などに投稿された感想を見ても、やはり読解力は読書量に比例しないことが読み取れる。
とはいえ「本を全く読まなかった人間が、読書を始めてから国語の成績が上がった」という話は何度か目にしたことがある。
人によっては本を読むことで読解力が向上する可能性もゼロではないのだろう。
ところで読解力といえば、某哲学者Y氏のエッセイで語られたエピソードに以下のようなものがある。
哲学者Y氏は複数の自著で「空気を読むな」という主張を繰り返し述べていた。
ある日、彼は誰でも参加できる哲学教室を開く。
するとそこには「空気を読まない人間」ではなく、「空気を読めない人間」が次から次へと集まってきた。
言うまでもないと思うが「空気を読むな」というメッセージは「空気を読みすぎてしまう人間」に向けたものである。
だがそのメッセージに「もともと空気を読む能力を持っていない人間」が共鳴してしまったのだ。
彼らのあまりの空気の読めなさに、哲学者Y氏は「君たちはもう少し空気を読んでくれ」と言うハメになったという。
この例のように、文章に込められた意図を読み取る能力がなければ、いくら本を読んだところで著者の真意は伝わらず、読書による収穫はあまり期待できない。
いや収穫がないどころか、むしろ誤った思い込みや、偏よった思想を身につけてしまうリスクのほうが大きいかもしれない。
文章が読めないのは〇〇が関係している?
文章が読めない人はいったい何が足りていないのだろうか?
『AI vs 教科書が読めない子どもたち』では次のようにも述べられている。
では、学習習慣はどうか。1日何時間家庭で勉強をしているか。塾には行っているか、家庭教師はつけているか。習い事はしているか、それはスポーツ系か音楽系かなども尋ねました。なんの相関も発見されませんでした。
勉強量や塾、家庭教師の有無も実際のところは読解力と何の相関性もなかった。
まあそうだろうね。
では、得意科目はどうでしょうか。理系に苦手意識を持っている生徒は、数学や理科の教科書は見るのも嫌かもしれません。だとしたら、得意科目からの出題は正答率が高いのに、苦手科目からの出題は正答率が下がるということもあり得ます。ところが、何の影響も見られませんでした。
得意科目も文章が読めないこととは関係なし。
そして著者は以下のような結論を述べている。
ご期待に添えなくて申し訳ないのですが、今のところ、「こうすれば読解力は上がる」とか「このせいで読解力が下がる」と言えるような因子は発見されなかったのです。
もはや打つ手なし。お手上げということだ。
「国語はセンス」と昔からよく言われるが、結局それが真理なのだろう。
結論:文章が読めない人の読解力を上げる確実な方法はない
ちなみにこの記事で紹介した読解力テストは以下の本から引用している。