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感情の垂れ流し

ここ最近、本ばかり読んでいる。

他にやるべきことが山ほどあるため、

「もうやめないと……」

とは思うのだが、気づいたら14時間ぐらいぶっ続けで本を読んでいることも珍しくない。

読む本のジャンルも最近はどうも偏っている。

もっとバランスよく読まねばならないという意識はあるのだが、どうしても居心地のよい本ばかり読んでしまう。

僕にとって居心地のよい本というのは、おもに哲学や社会学というジャンルに分類される。

これらのジャンルでは「当たり前を疑うこと」が基本中の基本であり、そこで述べられる内容は「論理的」であることが大前提として求められる。

僕にとってはこれ以上ないほど居心地のよい空間だ。

しかしこれらの本を読めば読むほど、何とも言えない不安が広がっていく。

というのも世の中では「当たり前を疑わないこと」が基本中の基本であり、そこで述べられる内容は「常識的」であることが大前提として求められるからである。

居心地のよい本を読めば読むほど世の中とのズレが広がっていく。

幼い頃からずっとそうだったのだが、

「なんで世の中はこんなに不合理な考えをする人ばかりなんだろう?」

とイライラすることが以前にも増して多くなった。

このブログで書く文章にもそれが反映され、どうしても大衆批判的な内容が多くなる。

そしてこうした文章が多くの者にとって不快であることも骨の髄まで理解している。

多くの者が共感する内容はその気になれば造作もなく書けるが、それは僕にとって嘘をつくこととイコールであり、詐欺師に成り下がることを意味する。

『読書は無駄やデメリットばかり』

という記事を以前書いた。

その記事のなかで自戒の意味も込めて挙げた“読書による負の影響”が、自分のなかで日に日に増している自覚がハッキリある。

小さい頃に嫌悪感を抱いていたはずの「感じの悪いエセ知識人」に自分がどんどん近づいていくのが分かる。

本を読むたびに自分は成長でなく退化しているんじゃないか?

知識を得るたびにどんどん嫌な人間になってるんじゃないか?

そうした思いが頭から離れないのだが、それでもつい居心地のよい世界に腰を下ろしてしまう。

ふとテレビをつけてみる。

バラエティ番組で無邪気に楽しんでいるタレントを目にすると、自分の心がひどく汚れて醜いものに見えた。

はたから見れば、僕が心の底から軽蔑しているヤフーニュースのコメント欄にいる人間と自分はそれほど大差ないのかもしれない。

記事を書いているときは次から次へと頭の中から文章が流れ出てくる。

常識的には間違ったことを書いているが、理屈的には間違ったことを書いていない自信がある。

しかしいざ投稿してみると、しばらくの間モヤモヤしたものが心から離れない。

このモヤモヤしたものが何であるかは自分でもよくわからないのだが、負の感情であることだけは認識できる。

このモヤモヤをどうにかしようと記事の下の方に“いいねボタン”をつけてみた。

なんだかんだ言いつつ人の目が気になって仕方ない僕は、どの記事がいいねされたか毎日チェックしている。

「これ共感する人なんていないんじゃないかな?」

そう思いながら書いた記事にいいねがつくと救われたような気分になる。

行間を読む能力が大いに求められる記事にいいねがついていると孤独感がいくらか解消される。

そうした記事じゃなくてもいいねがつくと嬉しいのでガンガンいいねボタンを押して欲しい。

しかし正直なところ、ほかのブログと比べるとやっぱり好意的な反応はそれほど多くない。

新しく書いた記事でも10~20回見られて1回いいねを押されるかどうかという頻度。

ブログ全体で見れば100回見られて1回押されるかどうかというのが平均になっている。

おそらくほとんどの人がいいねと思わないのだろう。

僕のブログには応援メッセージはほとんどこない一方で、代わりにこんな感じのメールがよく送られてくる。

他人の批判ばかりして本当に人として終わってますね。
早く死んだほうが親も喜ぶんじゃないですか?

総アクセス数に対する固定読者の数や好意的反応の少なさから見るに、少なからぬ読者がこのメールを送ってきた人間と近い感情をボクに対して抱いてるのだろう。

まあ多くの者が正しいと思ってることを(だからこそ)批判しているワケだから、批判の対象にあたる多くの者が否定的反応をするのは想定済みだ。

ただあまりに度が過ぎるものは法的手段も視野に入れて処理しているが。。

自分でも自分が多くの人にとって軽蔑に値する人間だというのは十分自覚しているので、わざわざそれを伝えるのは野暮であり時間と労力の無駄である。

こんな変人のブログなど見ずにヤフコメやTwitterに生息する善人たちと語り合っていたほうが楽しい時間を過ごせるだろう。

インフルエンサーや知識人には口の悪い人間が多いが、おそらく僕の何千倍もこうした罵倒を日頃から受けているんじゃないかと思う。

あるいは罵倒ではなくとも、自分より知識も知力もない人間に上から目線で好き放題言われるのは相当癪に障るものだ。

彼らが攻撃的になる気持ちもよく理解できる。

さて、今回も例のごとく思いつきで頭から流れ出てくる文章を書きなぐってみたのだが、いい着地点が思いつかない。

何のまとまりもない文章になったけどまあいいや。