ボクは昔から愛想笑いができない。
「ここ笑う所だな」
「笑わなきゃ」
そう思うほど自然な笑い方ができなくなる。
かといって、相手がおもしろい(と思ってる)話を披露してくれたにもかかわらず、それに対して一切笑わないというのも申し訳ないし、愛想笑い以外のうまい返しも思いつかない。
その結果、無理やり笑おうとすると
「デュフフ」
「んふっ」
という最高に気持ち悪い笑い方になってしまう。
「ハッハッハ」
こんな感じで豪快に笑おうと思っても、関根さんみたいなメチャクチャわざとらしい愛想笑いになってしまうため、なかなか実践できない。
笑い方を忘れた
高校生ぐらいからだろうか?
愛想笑いができないだけでなく、面白いときに笑うこともできなくなってきた。
心から面白いと思ってるハズなのに笑い声が出てこない。
どうやら笑い方を忘れたようだ。
「ふっ」
という鼻笑いか
「へへっ」
という長渕笑いしかできなくなった。
ただ絶対に笑えないというワケではなく、ごくまれに自然な笑い声が出ることもある。
そんなときは、ホッと一安心する。
「あ、まだ俺フツーに笑えたんだ」
愛想笑いができないと困ること
愛想笑いができないと一番困る相手はしょうもないギャグばっかり言ってくる人間だ。
ツッコミ待ち、あるいは笑い待ちのようだが、あまりにくだらないギャグだとツッコむのが非常に面倒くさいし、あからさまな苦笑いになってしまう。
そしてつまらないギャグを連発してくる人間に限ってこんなことを言ってくる。
「柴崎さん(ボクの名前)ってあんまり笑わないんだね」
お前のギャグがつまんねーんだよ!
…なんてことはさすがに言えず、
「まあ、そっすね(超苦笑い)」
みたいな返答をし、その場を後にする。
愛想笑いができないと困ることその2
うまく愛想笑いができないのに無理に笑おうとすると、変な笑い方になってしまう。
だからボクはあまり声を出して笑わなくなった。
ただその分、ある程度にこやかな表情で話を聞くようにはしてる。
声を出して笑わなくてもニコニコしておけば、相手も嫌な気分にはならないだろうと思ってのことだ。
ただしこれには大きな欠点がある。
マスクをしてると表情が分からないことだ。
笑い声が出せないため仏頂面で相手の話を聞いてるみたいになってしまう。
周りが笑ってるところで笑えない
思い返してみると愛想笑いができない以前に、そもそも他人より面白いと思うことが少ないようだ。
子供のころからTVを見てて笑うことはあまりないし、笑ったとしても鼻で「フッ」と笑う程度。
学校でみんなが笑ってるギャグも
「こんなもんどこが面白いんだよ」
なんて思ってた。
ギャグマンガは好きだし、お笑い番組も嫌いじゃない。
日常で誰かと話してて腹の底から面白いと思うこともある。
ただ笑える範囲が人より狭いようだ。
愛想笑いができないのは悪いことじゃないかもしれない
最近は「愛想笑いができないのは悪いことじゃないかもしれない」とも思うようになってきた。
確かによく笑ってくれる人は話してて気分がいい。
だが愛想笑いしない人もまた違った魅力がある。
というのも「嘘をつかない人なんだな」と思えるからだ。
口数が少ない人ほど信用できるのと同じで、愛想笑いをしない人ほど嘘やお世辞を言わなそうな雰囲気がある。
媚びない感じがあって結構そういう人は好きだったりする。