中学の内申制度はおかしい。
昔からずっと思っていました。
こんなおかしい内申制度は廃止すべきだと。
もし内申制度がなければ、僕はまったく違う人生を歩んでいたのではないか?
高校受験から20年近くたった今でもたまに思い返します。
中学の内申制度はおかしい
中学の内申といえば高校受験の際に大きく影響するもの。
高校によっては内申点での足きりがあったり、試験の点数が良くても内申が低いせいで落とされてしまう事も珍しくありません。
言ってみれば、今後の人生を左右してしまうぐらい大切な指標のひとつなワケです。
ところがこの内申点というのは教師の気分ひとつで簡単に操作できてしまうものなんですよね。
今の時代もそうなのかは分かりませんが、少なくともボクが高校受験をした18年前ぐらいはそうでした。
そしてこの内申点の付け方がおかしいんです。
というのもテストの成績でどんなにいい点数をとっても内申が5段階で『3』というケースがよくあるんですよ。
逆にテストの成績は良くないにもかかわらず、教師に気に入られることによって『5』を取るケースもある。
俗にいう内申美人ってやつです。
他にも地域によって”内申が高くなりやすい中学”と”内申が低くなりやすい中学”があるのは今じゃ有名な話。
人生を大きく左右しかねない高校受験ですよ?
そんな不公平な基準が存在するのはどう考えてもおかしい。
大学受験みたいに一発試験ですべて決めるのがもっとも公平なハズです。
中学の内申制度はおかしいし、内申制度は廃止するべきだと思っています。
テストの成績はいいのに内申は低い
ボクは率直に言うと勉強のできるタイプでした。
塾なんて人生で一度も通ったことはありません。
正直授業なんか全く聞いてなくても、テストの数日前から勉強すればだいたい9割以上の点数を取れていました。
科目によっては1日前でも十分だったし、現代文なんて無勉でも問題なし。
もちろんクラス全体の平均点が特別高いワケではなく、平均は65点とかそんなもの。
ほぼ毎回学年で10位以内には入ってたんですよ。
ところが内申はほとんどが『3』でした。
テストの成績はいいのに内申は低いというタイプです。
信じられないかもしれません。
他の学校だったらそんなことはあり得ないかもしれません。
でもボクの中学校ではそうでした。
ほかにもトップクラスの成績をとっているのになぜか内申が悪い子を何人か見ています。
どちらかといえば大人しいタイプだったり、教師に好かれないタイプの子が多い印象でしたね。
一方で、70点台の成績の子が『5』をもらっているケースを何度も見ました。
ノートを綺麗に書いたり、積極的に発言をするなどしてテスト以外の項目で高い評価をつけられたようです。
納得いきませんでした。
内申制度は廃止するべき
ある日、三者面談で担任からこう言われたことがあります。
「テストの成績だけで言えばどの科目も5を与えてもいい。ただ授業を真面目に聞いていなかったり、提出物を出さないことがある。ノートが雑。発言もしない。そのせいで評価が下がっている」
…やはり納得がいかない
学力を向上させるという本来の目的を考えれば、点数がしっかり取れてるのだから授業を真面目に聞いてなくても問題ないだろう。
提出物やノートはあくまで学習の理解度を上げるための”手段”ではないのか?
ノートばかり綺麗に書いて授業内容が身についてないなんて本末転倒じゃないか。
発言が苦手な子はそれだけで点数を下げられるというのもオカシイ。
教養を学ぶためではなく、教師の機嫌を取るために学校に通わされてるのか?
こんなおかしい内申のつけ方をするのなら、内申制度なんて廃止するべきです。
こんなやり方では権威やルールに従順なだけの思考停止人間を生み出すだけ。
ただの洗脳ですよ、こんなもん。
ボクは昔から自分が納得いかないことは絶対にやろうとしない性格でした。
その後も授業態度やノートの書き方などを改めることなく、結局その調子で内申は低いまま、中学生活最後の年を迎えます。
内申が低いせいで…
いよいよ高校を受験する年。
周囲の人からは
「柴崎君はA高校(地域トップクラスの高校)受ける?それともB高校(それに次ぐ高校)?」
などと聞かれる機会が増えました。
ボク自身もそのあたりを受けるのだと当時はなんとなく思っていました。
ところが3年の三者面談で、担任からこんなことを言われます。
「この内申じゃA高校なんて話にならない。E高校にするべきだ」
E高校とは偏差値で言えば50程度のごく平均的な高校。
学年で10位内の成績を取っている人間が受ける高校ではありません。
しかし内申が低いボクにはそこが適当だ、と担任は強い口調で断言します。
今なら担任の言うことなど無視し、ネットで調べて当日の成績を重視する高校を受験していたかもしれません。
しかし当時は家にネットもない時代。
おまけに友人もおらず、塾などにも通っていないため、高校受験に関する情報をボクはほとんど持っていませんでした。
「そんなものなのかな?」
親は学歴にこだわる人間ではなかったため、とくに反対することもなくあっさり受け入れました。
そしてボク自身も当時は無知で、世の中にどんな高校があって、その先の進路にどんな影響を与えるのかよく知りませんでした。
ネットが自由に使える今の時代だったら、おそらくこんなことはなかったでしょう。
学力の合わない高校に行った結果…
結局ボクは偏差値50程度の高校に合格して通うことに。
そして進学先の高校でおこなわれた中間試験で、学年1位の総合成績を取りました。
どう考えても学校のレベルが自分に合っていないのは明白です。
あっさり1位になってしまったことや、授業内容が簡単すぎることから、ボクは勉強するのが馬鹿馬鹿しくなりました。
すっかり落ちぶれてしまいます。
そしてそれがきっかけである事件が起こり、その高校を転校することに。
当初よりさらに偏差値の低い高校へ行くことになり、地獄の環境で2年間過ごした結果、今の惨状へとつながっていきます。
その後のボクの人生がいろいろと酷いのはもちろん僕の責任でしょう。
ただ人生の歯車が狂いだした初めのポイントは中学の内申制度がおかしいところにあるんじゃないか?
今でもときどき思います。
内申というおかしい基準が存在せず、試験の点数だけで自分に合った高校に行けていれば、今とは違う人生を送っていたのではないか?
少なくとも高校生活はまったく別のモノになっていただろう…と。
内申制度がおかしいことで失われたもの
人生で一番やりなおしたい時期はいつか?
いつ考えてもそれは高校時代です。
正直今でもあこがれを持っているんですよね。
進学校で真面目に勉強して、テストの成績をライバルたちと競い合う生活…
電車の中で勉強してる学生とか見ると「いいなぁ」って思うんですよ。
ボクの行った高校では勉強することが馬鹿馬鹿しくなるような環境でしたから。
ボクの人生を4文でまとめるとこうなります。
小中学時代は”ふつうの学校生活”を送れず、高校時代も学生らしい学校生活を体験できず。
受験3か月前から勉強を開始し、そこそこの大学に進学するものの途中で中退。
その後フリーターになるが再び大学に行きたくなり、新聞配達をしながら別の大学へ。
就職活動は一切せず、大学卒業後フリーターにもどる。
やっぱり思い返してみると、内申制度がおかしいことから自分に合った高校に行けなかった。
これが一番のターニングポイントだと思うんですよね。
もちろんその後のていたらくは自分の意志の弱さに原因があるんだけど…
まとめ:内申制度はおかしいから廃止したほうがいい
内申制度がおかしいせいで、本来の自分の学力に合わない高校へ進んでしまう人は少なくないと思います。
そして学力の合わない高校で3年間モチベーションを維持するのは想像以上に難しいです。
そう考えると内申制度って害悪以外の何物でもないと思うんですよね。
ボクのような思いをする人間をこれ以上生み出さないようにするためにも、内申制度は廃止するべきだと思っています。
追記
…まぁそうは言っても、この人生だからこそ気づいたことも沢山あるし、今ボクがいる状況をそこまで憂えてるワケでもないです。
わりと今の人生も楽しいし、むしろこの人生を選んで良かったとも思っています。
ボクのプロフィールだけ見たらおそらくほとんどの人が悲観的にとらえると思うんですけど、本人は意外と楽観的だし、前向きにいろいろ模索してますからね。