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マスク議論について思うこと

最近ようやくマスクの必要性について議論が進むようになってきた。

ボクはコロナ騒動開始当初から一貫して「どちらかというとマスクは不要」だと思っている。

なので

「マスクは絶対に着用しなければならない」

というマスク絶対派とは価値観が合わないし、かといって

「マスクは100%悪影響しかないから外せ」

という過激派の反マスク論者とも価値観が合わない。

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マスクに効果があるかどうか

マスクに感染抑制効果があるかどうかについては「効果がある」というデータと「効果がない(もしくは逆効果)」というデータの両方が存在する。

専門家でも意見が分かれているのが現状だろう。

「いやいや、こういうデータがあるからマスクに効果はある(ない)ぞ!」

と反論する人もいるだろうが、統計データというのは見せ方次第でカンタンに人を騙せる。

また人は確証バイアスといって、自分にとって都合のいい情報ばかり集めてしまう傾向がある。

したがって物事をハッキリ白黒つけたがる人ほど、偏った情報を”絶対的な真”であると断定してしまうケースが多い。

さらに言えば科学に絶対は存在しない

たとえば信頼度が高いと言われる”RCT”であっても、その質にはバラつきがあり、後にもっと信頼度の高い異なる結果を示すデータが出てくるケースは往々にしてある。

また感染の原因というのはさまざまな要素が複雑に絡んでいるうえに、実験には倫理的な制約があるため、

「マスクは効果がある(ない)」

とハッキリ断定するのは現実的には非常に困難なのである。

個人的見解としては、いろいろな情報を総合的に判断し

「マスクに感染抑制効果があるとしても、そこまで劇的な効果はないんじゃないか

という結論に落ち着いている。

マスク着用のデメリット

「少しでも効果がある可能性が存在するならマスクつけた方がいいんじゃないの?」

と思うかもしれない。

しかしこれはマスク着用に他のデメリットがない場合のみ有効な理屈である。

マスク着用のデメリットをいくつか挙げてみよう。

  1. 体質的にマスクをつけられない人が深刻な差別を受ける
  2. マスクの息苦しさというのは人によって大きく異なる
  3. 免疫力が低下し、別の病気にかかるリスクが上がる可能性がある
  4. 子供の発達に悪影響を及ぼす
  5. マスク自体が感染媒体になり得る
  6. 声が聴き取りづらく、ストレスになる
  7. 表情が分かりづらい
  8. 集中力や思考能力が低下する
  9. 熱中症のリスクがある
  10. クラスメイトの顔を知らない学生が大量にいる
  11. マスクを外した時にガッカリする(される)
  12. マスクを外すのが怖くなる
  13. ”自粛ムード”が抜けない
  14. 笑顔が見えなくなるのは精神的に大きい
  15. はね返ってきた息がクサくて落ち込む

こうしたデメリットを天秤にかけると

「仮にマスク着用で感染抑制効果があるとしても、それが絶対的に”正しい”とは言えない」

という結論になる。

さらにコロナによる死亡数や、他の病気による死亡数も考慮に入れてみよう。

※厚生労働省より引用

上記は累計のデータ。注目してほしいのは右下の致死率

これは今よりも致死率が数段高かった第一波のデータも混みの統計である。

また感染しても検査を受けない人間は数多く存在するので、現在の致死率はこれよりもはるかに低い数値となる。

2022年5月18日現在の最新データでは

  • 累計で8,415,161人が陽性
  • 累計で30,114人が死亡
  • 累計致死率=30,114/8,415,161=0.0036=0.36%
  • 総人口に対する死亡率=30,114/125,502,000=0.0002=0.02%

まとめると…

  • 2年ちょっとで約1万人に2人の人間がコロナによって亡くなった
  • 内ほとんどは平均寿命に近い高齢者
  • コロナが直接の死因でないケースも多々含まれる
  • 現在では上記データよりも致死率がはるかに減少

一方、コロナ以前の社会では……

死者数
平成30年の原因別死者数データ

毎年130万人以上がコロナ以外で死亡。

1日に換算すると3000人以上。

これらの数値とマスクのメリット・デメリットを総合的に考えてみる。

やはり僕にはマスク着用の強制はデメリットの方が大きいようにしか見えないので、

「どちらかと言えばマスクは不要」

だと思っている。

海外における脱マスクの流れもそういった総合的な判断によるものだろう。

ただしマスクをつけてない人を「悪」とする風潮に関しては、”どちらかと言えば”ではなく”大いに”おかしいと感じている。

また子供のマスクはどう考えてもデメリットのほうが甚大なように思える。

過激なマスク反対派に共感しない理由

なぜ”どちらかと言えば不要”という表現を使うかというと、過激な・・・マスク反対派との差別化を意識している。

彼らが口にする

「マスクをしている人間は馬鹿だ」

という言動には同意できないからだ。

彼らのような過激派は

「マスクしている人=コロナを過剰に恐れている」

あるいは

「マスクをしている人=自分で物事を判断できない」

という短絡的な決めつけをしていることが多い。

しかしマスクをしている人もその理由は様々である。

コロナ以前から精神的に落ち着くという理由で”伊達マスク”をする人間はけっこう存在した。

声を使う仕事をしている人で、喉を労わるためにマスクを着用している人は昔から多い。

病気でマスクが必須な人もいれば、すっぴん隠し、デキモノ隠し、変装目的…などなど、昔からマスクをしている人間は一定数いるのだ。

また”マスクを外したいけど人目を気にして外せない人”を揶揄する言動も彼らには多い。

しかし人目が気になるのは内向的な性格の人間なら当たり前である。

人目が気になるという感情はよほど楽観的な性格の者以外なら誰もが持っているに違いない。

「疑問を持っているが人目が気になって行動に移せない」

という人と

「一切疑問を持たずにマスク着用を絶対視してる」

という人では性質が全く異なるので、一緒くたに批難するのは違うだろう。

そもそもマスクしている人を批判している時点で、過激な反マスク派も他人の行動が気になっていることに他ならない。

というか人目をまったく気にせずに生きられる人など、ほとんど存在しないのではないだろうか?

人目が一切気にならないなら寝巻姿のボサボサ頭でどこにでも行けるだろう。

行為そのものの合理性より他人の目を優先するというのは、精神的不安を最小限にするという意味においては理に適っている。

ここで重要なのは”行為の合理性よりも他人の目を優先していること”自覚しているかどうかだ。

自覚があるならば、行為の合理性を優先した人間を攻撃するという愚行にはそうそう至らない。

すなわち、マスクの合理性を疑う視点を持ちながらも、角が立つのを防ぐためにマスク着用している(と自覚している)人間は、マスクをしていない人間に批難の目を向けることはないと思われる。

であれば彼らを攻撃する必然性も存在しない。

要するに「マスク着用者」と「マスク着用を絶対視してる者」は区別して考える必要があり、無分別に批難するべきではないという話である。

過激な反マスクと過激なマスク信仰者

ボクは”過激な反マスク派”と”過激なマスク信仰者”は本質的には似たような思考回路だと思っている。

彼らの違いはたまたまベクトルが逆だっただけであり、

中庸(≠普通)を認識できず、確証バイアスに陥ってるという点では似た者同士なんじゃないだろうか?

コロナ禍では大きく分けて「自粛論者」と「反自粛論者」の2パターンが存在する。

さらに反自粛論者のなかでも”過激な反自粛論者””冷静な反自粛論者”の2パターンに分けられる。

前者はあらゆる問題を『黒か白か』の二元論で語る思考癖があり、

  1. ワクチンは100%悪影響だから打つな
  2. マスクは100%悪影響だから外せ
  3. コロナは存在しない

などといった極端な主張をする傾向が見られる。

(たいてい[1]を主張する人は[2]も主張する)

彼らに対しては、自粛を100%正義だと思い込んでいる人間と同質のものを感じずにはいられない。

Twitterの反自粛論者にはこのような二元論思考タイプが多いが、これはエコーチェンバー効果(※)による影響もあると思われる。

(一方で冷静に反自粛論を展開している人たちは、過度な自粛に反対しつつもワクチン効果をある程度認めていたり、未知数なものは明言を避けるなど、是々非々の柔軟な思考態度が見てとれる)

エコーチェンバーとは

同じ思想を持つ者同士が集まることで、その思想がより強化されてしまう現象。
Twitterでは自分と似た思考の人間をフォローする傾向があるため、流れてくるツイートも似たような意見ばかりになり、反対意見は必然的に排除される。
その結果、一部のコミュニティでしか通用しない偏った思想を「正しいもの」だと思い込んでしまう。

これはほかの問題に対しても同じことが言える。

”黒か白か”という分かりやすい論理に飛びつきやすい人は、結論が黒であろうが白であろうが本質的にはあまり変わらない場合が少なくない。

実際には黒の中に白い部分が混ざっていたり、灰色がかった白だったりなど、純粋な単色にはならないケースが多いことを、思慮深い人間ほどよく理解している。

(残念ながらネットで目にするコメントは前者によるものばかりだが)

情けない男

最近はメディアでマスク反対の流れも出てきている。

次第に世論が変われば、今いる”過激な反マスク派”のように

「マスク着用者を馬鹿にする人」

が大勢出てくるのではないかという気がしている。

「そんな人たちとはどうせ価値観が合わないんだから無視すればいいじゃないか」

というのは合理的な考えかもしれない。

だが合理的だと分かってていても、そう簡単に割り切れないのが人間である。

たとえ相手がどんなに軽蔑に値する考えを持つ人間であっても、そんな相手にすら自分は軽蔑されたくない…というワガママで不合理な感情を持ってしまうのが人間である。

そんなワケで最近は外を散歩するにしても、マスクをつけて行くと

「マスク反対派に馬鹿にされてるんじゃないだろうか?」

という考えがどうしても頭にチラつき、

かといってマスクをしないで行くと

「マスク絶対派に白い目で見られてるんじゃないだろうか?」

という考えがどうしても頭にチラつく。

人目ばかり気にして情けない奴だと思われるかもしれない。

自分でも心底情けないと思っている。

しかし人目を気にせず振舞えるメンタルを持っているなら、そもそもこんな内向的な人間にはなってないし、今よりもう少しマシな人生を送っていただろう。