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こんなことしてたのは自分だけ?子供時代のちょっと変わった遊び

マキバオーとにょろえもんその他いろいろ

小学校時代のボクは「TVゲームは1日60分まで」と決められていた。

さらに高学年になったあたりから、ゲーム禁止令も出されることになる。

当時マジメぼっちゃんだったボクは親のいいつけをきちんと守っていた。

だがゲームができない、友達もいない…となるとやることがなくなる。

なので僕はゲーム以外の遊びを編み出さざるを得なかった。

よくよく考えてみると

「こんな遊びをしていた子供は自分だけではないのか?」

と思うような変わった遊びである。

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野球少年だったあの頃

それは『タッチ』の再放送をやっていた時期。

たしか小学生の後半ぐらいだったろうか?

アニメやマンガの影響を受けやすいボクに、一時期のあいだ”野球ブーム”がやってくる。

学校から帰宅すると、6畳ほどの部屋に入り、ボクは一人で野球をしていた。

「野球って一人でできたっけ?」

と思うかもしれない。

確かにふつう野球は最低でも1チームに9人は必要である。

さらに敵チームがいなければ、そもそもゲームが成立しない。

だがボクの野球は自分で考えた特別ルールだったため、チームメイトも敵チームもボク一人いれば成立した。

使用する球は東急ハンズで買った発泡スチロールで作られたボールだ。

全力で投げて壁に当たっても、音はしないしどこも傷つくことがない。

壁の模様を目掛けて、発泡スチロールのボールを思いきり投げる。

ボクは『タッチ』の主人公である”上杉達也”になりきっていた。

2、3メートルほど先の空間にバッターをイメージし、

「壁の模様から外れたらヒット」

などといった、しょうもないルールを設けて、一人でボールを投げていた。

スリーアウトになると攻守交替。

今度はボクがバッターになる。

発泡スチロールのボールを真上へと放り投げ、グーに握った手でボールを打つ。

ボールの飛んで行った方向によって、ヒット、ツーベース、ホームランなどといったような自分ルールを作っていた。

こんな寂しい野球をプレイしていた少年はおそらく同級生の中でもボク以外に存在しなかっただろう。

同級生たちもまさかあの無口で友人のいない少年が、家の中でひとりで野球をやっていたなんて想像もつかないと思う。

だが当時のボクにとってはこれが意外と楽しかった。

ウマ息子時代

マキバオー

ボクの家には『みどりのマキバオー』という競馬マンガがある。

たしか僕が人生で初めて買ったマンガだ。

小学2年生ぐらいの時だったろうか。

マンガやアニメの影響を受けやすいボクは『みどりのマキバオー』の主人公になりきっていた。

といっても、この漫画の主人公は”馬”である。

ボクは馬になりきり、家の中を4足歩行で走った。

もちろん家の中はそこまで広いワケではない。

8畳ほどのフロアを4足歩行で往復し、タイマーを使って

「10往復○○秒!」

といった感じでタイムトライアルをして遊んでいた。

まるで陸上選手が日々練習をしてタイム向上を図るように、ボクも4足歩行のタイムを向上させようと必死だった。

冷静に考えれば4足歩行のタイムを縮めたところで、そのスキルを活かせる場面などこの世に存在しない。

だが友人がいない上にゲームも満足にさせてもらえない子供にとっては、こんな意味不明な遊びですらそこそこ楽しかったのだ。

あるとき親父が

「それ意味ないからやめろ!!」

と怒鳴り、それ以来やらなくなった。

妄想ドラゴンボール

学校の中でボクは友人が一人もいなかった。

いじめられていた時期もあるが、いじめられていない時期もある。

後者の時期は平和ではあるのだが、休み時間がとにかくヒマだった。

そこでボクが編み出した遊びが『妄想ドラゴンボール』である。

たしか初めてやったのは小学校1年生か2年生あたり。

頭の中でオリジナルのアニメを延々と描いていくという遊びだ。

そのオリジナルのアニメというのが完全にドラゴンボールのパクリだったため、ボクは”妄想ドラゴンボール”と呼んでいる。

妄想ドラゴンボールの中には50人ほどのオリジナルキャラクターが存在した。

頭の中で描いたキャラクターがドラゴンボールのように戦闘を繰り返していくのだが、まさにそれはアニメを見ているかのような感覚だった。

頭で考えるというよりも、キャラクターが勝手に動き出すという感じで、脳内に映像がドンドン流れていく。(この感覚はあまり伝わらないかもしれない…)

妄想ドラゴンボールはほかの遊びと比べてもずば抜けて面白かった。

授業を聞かずに何時間もずっと続けていたこともある。

自分で作ってるハズなのに、

「先の展開が気になる」

「早く話を進めたい」

というワクワク感が当時はあった。

今同じことをやろうとしても全く面白くないのだが、たしか中学生ぐらいまでこの遊びをやっていたと思う。

これに集中している間は教師の声がまったく聞こえてこなかった。

囲碁

中学2年生ぐらいから囲碁を始めた。

きっかけはパソコンの初期から入ってるゲームの中にたまたま囲碁が入っていたからだ。

だが解説がなかったため、最初はルールが全く分からなかった。

  • どうやったら石がとれるのか?
  • どこが自分の陣地なのか?
  • っていうか何がどうなったら勝ちなのか?

囲碁というゲームは初心者にはまったく理屈がわからない。

しかし当時時間があり余っていたボクは、何度もコンピューターとの対局をくりかえし、コンピューターの石の置き方などから自力でルールを理解した。

その後、囲碁の本をいくつか購入し、四六時中ネットで囲碁をやることに。

半年ほど経過したあたりで、日本棋院の子供囲碁大会というイベントに参加し、結果として三段を獲得できた。

ボクが今までやってきたものの中でも囲碁はかなり自分に向いていた趣味だと思う。

だが囲碁に対して「なんか年寄りくさい」というマイナスイメージがあり、1年ぐらいで囲碁ブームは去ってしまった。

昔から何かにハマると周りが見えなくなるぐらい熱中するが、一度冷めると途端に全くやらなくなる傾向がある。

その他遊び

そのほかにボクがやった一人遊びは…

  • 一人トランプ
  • 一人遊戯王
  • 一人オリジナル将棋(将棋の駒を使ったオリジナルルールの遊びを作っていた)

といったところ。

あとは家に「スラムダンク」と「マキバオー」があったので、この2つをローテーションで何十周もしていた。

今でも何巻にどんなセリフがあるか思い出せるぐらい、同じマンガばかり読みまくった記憶がある。

どんだけ暇だったんだよ?という感じだが。

ブログを書いていて

「自分の考えは世間とズレているのか?」

と感じることが多々あるが、よくよく思い返してみると昔からずっとボクは変な人だったようだ。

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