正直に答えてください。誰にも言いません。
ここ最近でうんこを漏らしたのはいつですか?
ボクは昨日です。
屁だと思ったらうんこだった
もうね。
自慢じゃないけど何十回、いや何百回と同じことを繰り返してきました。
屁だと思ってさ。ブッ!!てやろうとしたんですよ。
わかりますかね?
ぷすぅってスカすよりも「ブッ!!」て思い切り屁を出す方が気持ちいいじゃないですか?
もちろん家の中での話です。外じゃ「ぷすぅ」に統一してますから。
ええ。音なんかしませんでしたよ。
にゅるん、あっ!
て感じですね。
そうです。屁だと思ったらうんこだったんです。
ベテランになればうんこと屁の判断などたやすい
とはいってもね。
ボクももう30年以上生きてます。
うんこを漏らした経験など何百回もあるわけです。
いってみりゃベテランですよ。ウンコ漏らしのベテラン。
このベテランの域までくるとね、
自慢じゃありませんがうんこと屁の微妙な違いが結構分かってくるようになるんです。
「ん?これは屁っぽいけどたぶんうんこだな」
とか
「これはうんこっぽけどたぶん屁だ。ここでして問題ない」
とかね。判断ができるようになるんです。
そしてその判断を誤ったから昨日うんこ漏らしたんですよ。
腸の目的はなんなのか?
なんでこんなにうんこを漏らしてしまうのか?
寝る間も惜しんで原因を考えてみました。
腸が悪いね
腸がさ、もっとはっきりうんこならうんこ。屁なら屁って言えばいい。
そうすれば僕だって漏らしたりしないさ。
でもボクの腸はうんこの時に「これは屁です」っていったり、屁の時に「これはうんこです」っていったりするんだ。
そりゃボクも混乱するさ。
なんでこんな紛らわしいことするかって言ったら多分「ボクにうんこを漏らさせること」が腸の目的なんだと思う。
理由はわかんないけど絶対そうだと思う。
ある日のボクと腸
これはある日のボクと腸のやり取り
腸「ご主人様、うんこが出ます」
ぼく「なに!?ちょっと待ってろ」
(タッタッタッタ)
(ガチャ)
ぼく「よし、ここで出せ!」
屁「ブッ!!」
ぼく「なんだ!屁ではないか!!」
腸「すみません!」
10分後
腸「ご主人様、うんこが出ます」
ぼく「またか!?今度は本当なのだろうな!?」
(タッタッタッタ)
(ガチャ)
ぼく「よし、ここで出せ!」
屁「ブッ!!」
ぼく「おい!貴様、私をなめてるのか!?」
腸「すみません!」
10分後
腸「ご主じ…」
ぼく「ええい、もうわかった。どうせ屁だろう!勝手に出せ!」
うんこ「にゅるん」
ぼく「うわあああああああ」
腸(ニヤニヤ)
腸側も工夫してくる
屁だと思わせといてうんこを出す。これは言ってみれば王道パターンだ。
ボクだってそうそう何度も同じ手には引っかからない。
しかし、上の例では最初に屁2発をフェイントとして使い、3度目でうんこを出すという超高等テクニックを使ってきた。
こんな高等テクを駆使されたのではもはや漏らすしかない。
このようにボクとボクの腸は裏の裏のそのまた裏を互いに読みあい、うんこか屁かという勝負を何十年も続けている。
まるで将棋の名人戦のような超ハイレベルの心理戦が2人の中で繰り広げられているのだ。
うんこを漏らすのに歳は関係ない
うんこを漏らしたというと「それは歳を取ったからだ」という人がいる。
でもそれは違うと思う。
なぜならボクは小さいころから今に至るまで毎年のようにうんこを漏らしているからだ。
つまりうんこを漏らすのに歳なんか関係ないということになる。
ちなみにこれは僕だけではない。
ボクの親父もそうだ。
ボクが小さい頃から毎年のようにうんこを漏らし、風呂場でうんこのついたパンツを洗っている光景を何度も見てきた。
ときにはゴミ箱にパンツが捨てられていることもあった。
屁をこいたあとに顔色を変えて便所にダッシュする姿も何度も見た。
子供は父親の背中を見て育つというが、こんな背中を見て育ちたくなかった。
まあとにかく男はいくつだろうがうんこを漏らすものなのだ。
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